「家出?誘拐?詐欺?人買?(2)」(2016年12月01日)

インドネシア文化では、金があるかないかが人間の優劣を決める。どのようにしてその金
が手に入ったかはあまり問題にされず、たっぷり金を持ち、他人に大盤振る舞いできる人
間が成功者として世間から見上げられるのである。婚期を逸したインドネシア人女性がヨ
ーロッパ人の伴侶探し機関に登録し、相手を得て何度もかれの国に招かれ、結婚を約束し
てもらい、かれからさまざまな生活援助を得ている実例をわたしは知っている。

残念ながらそのヨーロッパ人男性の娘が「発展途上国の女を母と呼びたくない」と駄々を
こねているため結婚できないでいるらしいのだが、かれはその障害がそのうちなんとかな
るだろうと考えて関係は継続したままにしているようだ。老齢になったとき、自分の介護
・世話をしてくれる人間を持つことがきっとかれの目標なのだろうし、発展途上国の誠実
な女のほうが夫に尽くすすべはクオリティが高いに決まっている。そんなものの見方を失
礼と感じる読者がいらっしゃるかもしれないが、その男女の関係を遠くから見聞している
かぎりでは、色恋沙汰の感じられない、たいへんビジネスライクでクールな関係という雰
囲気が強い。男と女の関係はすべからく愛情関係であり、金や物品とセックスだけという
男女関係は不純でいやらしいものという価値観は、それを抱く者の人間観を狭めているだ
けという風にわたしには思えるのだが・・・。

で、その女性の口座には、インドネシアではかなりの金額と見られる金がうなっており、
かの女は一族の中で成功者として一目置かれているのである。インドネシア文化が持って
いる価値観のひとつを赤裸々に示せば、そういうことになる。だから汚職が世の中に広が
るだけ広がり、闇ビジネスやバッドガバナンス、あるいは犯罪行為が世間にあふれ、それ
らの悪事の主体者は社会に富の還元を行うことで一大成功者として世間から受け入れられ
ているというその形を見るにつけ、日本人の脳裏にある「正義」なるものがここの風土と
はまったく無縁であることをひしひしと感じるのである。


だからその5人の娘が親に黙って家を去っても、稼ぎをたくわえた上で家に戻れば、成功
者になった娘に親は無碍な扱いをしないだろう、という思わくが娘たちにあったのではあ
るまいか。

しかしやはり世慣れしていない娘たちの甘さだろう。楽で金になる仕事のために、どうし
てこんな田舎の寒村にまで人探しをしにやってくるのだろうか?その点に怪しさ危なさを
感じ取れるだけの能力が、その娘たちにはきっとまだ育っていなかったとしか思えない。
さて、簡単に自分を信用し、家出して自分についてきた5人の娘を、誘い出した者は宿に
収容してから、嘘の上に嘘を重ねていくことになる。食堂や店番の話などそっちのけで、
ダンドゥッステージ主催者は5人の娘たちに「ちょっとこんな仕事でもしてみろや。食堂
の仕事はそれからだ。」などと言ったのではないだろうか。

かの女たちにはミニスカートとかなりタイトなシャツやステージ衣装が与えられ、音楽に
あわせて踊っているだけでいい、と言われて楽な仕事を開始した。ただ、高額の報酬は期
待のしようもなかったようだ。[ 続く ]