「タウラン好きの若者たち(3)」(2017年01月11日)

強く優れた男というのは暴力闘争の場におけるそれだというコンセプトを社会が変えて行
かないかぎり、インドネシアの青少年は百年先でもきっとタウランを続けているにちがい
ない。

そういうとらえ方をするなら、タウランというのは闘争相手の敵がいることが必須条件な
のであり、その敵に対する恨みや憎しみの存在は二の次となる。日本の剣豪の果たし合い
とまったく同じだ。

ただ何世代にも渡って闘争を続けることによって、恨みや憎しみが培われるようになるの
も事実だ。だからと言って、タウランの動機のメインがそちらへシフトするかどうか?わ
たしにはやはり、勇ましく強い自分の姿に酔うことが依然として最右翼の動機なのではな
いかという気がするのである。


タウランを行うのは学校生徒ばかりでなく、大学生でも行い、あるいは村同士でも行う。
ジャカルタの中でも村同士というか町同士でタウランが年中行事になっているところもあ
る。たとえばジャカルタの隣り合う町同士で仇敵関係になっているようなところはたくさ
んあるし、地方部でも距離は離れるが村同士で攻撃し合い、暴力・放火・破壊が互いに繰
り返されているところもある。

よく言われるのは、一方の住民が他方の住民に侮蔑や揶揄の言葉を投げつけるのが発端で
暴力沙汰が起こり、負けた者が自分の村に戻って仲間を集め、仕返し攻撃を行うというパ
ターンで、そういうことが頻発するために、地方部であろうがジャカルタであろうが、カ
ンプンは閉鎖的となり、ヨソモノに対する友好的姿勢など夢物語のようになってしまうの
である。


カンプンが閉鎖的になるのは泥棒対策でもあり、夜中になると各家が飼い犬を路上に放し
て夜警をさせたり、村の入り口の道路に夜間若者が数人立って夜警に当たり、うさんくさ
いヨソモノの進入を誰何したりする。わたしが真昼間にバリ島の田舎を散策していたとき、
たまたまとあるカンプンに入り込んでしまったことがある。最初は住民の誰も気に留めて
いないように思われたが、いきなり路上で「何しに来たのか?」と中年の男に誰何され、
男が手にした鎌を直立させたのに驚かされた。鎌首を立てるというのは攻撃姿勢の表れだ
ろう。


ブカシ県南タンブン郡スティアムカル村で11月27日深夜1時、ラワアレン部落民とク
ドゥングデ部落民の間でタウランが起こった。そのタウランで24歳男性ひとりが刃物で
胸を三ヵ所刺されて死亡した。

騒動の発端は、そのしばらく前にラワアレン部落の若者数人がクドゥングデ部落を通り過
ぎるとき、自元の若者が言葉でかれらにふざけかかったそうだ。するとラワアレン部落の
若者たちは血相を変え、「後で戻って来るからな。」と大声で言い捨てて去った。そして
ラワアレン部落住民が大勢、刃物や凶器を手にしてクドゥングデ部落へやってきたという
のがその事件。警察は殺人犯を追跡中。[ 続く ]