「スラバヤ・スー(17)」(2017年01月16日)

その山奥の寒村はモジョクルトからおよそ20キロ離れており、スラバヤとマランを結ぶ
街道からもそれている。静かで平穏な山奥の暮らしは神経を休めてくれるが、食糧は足り
ない。叛乱ラジオ局のメンバーはそこで暮らすのに一日二食になり、食事はたいてい飯と
サンバル、そして塩漬け卵がふたりに一個というメニューだった。しかしコーヒーだけは
潤沢にあった。


この時期、ラジオ発信機の部品など、東ジャワのどこを探してもおいそれと転がっている
わけがない。マランでもモジョクルトでも、ラジオ関係者はまったく余裕のない中でみん
な無理をしているのだ。

「スラバヤへ戻れたらなあ。」技術者のひとりがため息交じりに言った。スラバヤからバ
ギルに移るとき、たくさんの機材や部品をさびれた一軒の空き家に隠してきた。その中に
スペアの部品があることをかれは言っているのだ。

共和国側の兵力はスラバヤ市内から完全に一掃されたが、AFNEI進駐軍は一般市民ま
で追い出したわけではない。抵抗戦をやめたスラバヤ市民は平常の生活を許されており、
生活必需物資は市外から運び込まれてくる。

一方、共和国側はスラバヤ市外に最前線を敷いて、市内の守備に当たっているAFNEI
進駐軍への攻撃を続けている。だから、インドネシア人ゲリラ部隊の市内侵入と破壊活動
のリスクは常に存在しており、進駐軍は市内に入って来る主要道路に検問ポストを設けて、
市民の生活物資だけは通すが、戦闘員の侵入は許さないという形での保安活動を行ってい
る。

つまり、検問ポストでのチェックをかいくぐることができれば、市内に隠したラジオ機材
をこの山中に持ってくることができるというわけだが、いったいどうやって?検問ポスト
を通過する荷物はすべて、その中身を調べられるのだ。ラジオ発信機の大きな部品など、
調べられたらすぐに見つかってしまうだろうし、そんな物を運んでいるのが見つかれば、
無事では済まないのが明らかだ。

翌日、バギルから連絡員が来た。バギルの放送局はタントリたちが夜中に出発した次の日
に爆弾を落とされて壊滅したそうだ。みんなは、自分たちの運命が紙一重だったことに、
あらためて感動した。


朝食の後、この放送局チームのまとめ役をしている青年がタントリに近付いてきた。「夜
中にあなたが眠っているとき、われわれは対策を相談した。スラバヤ市内に潜入して部品
を取って来る方法がある。この作戦を実行すれば、われわれの発信機は生き返る。」
タントリの顔がほころびた。「どんな方法なの?」

かれが話す計画の詳細を聞いているうちに、タントリの顔がこわばってきた。後に看護婦
作戦という名称で共和国側の血気盛んな青年たちの人口に膾炙するようになるその作戦計
画は、十二分に冒険主義的なものだったと言えるだろう。そしてその主役になれる人間は
タントリしかいなかったのだから。[ 続く ]