「akuに至る道程」(2017年01月16日)

ライター: 文学者、アイップ・ロシディ
ソース: 2005年2月5日付けコンパス紙

甥や若者たちがわたしと会話するとき、一人称にakuを使うことを知ってわたしは驚いた。
なぜなら、わたしは普段、一人称にsayaを使っているからだ。わたしと同じ年代のひとた
ちも、同じようにsayaを使っている。akuという語は普通、文学作品で使われるものだ。
ナレーティブな作家が一人称を使って物語るようなスタイルの場合は反対に、sayaという
語はほとんど用いられない

社会構成員ひとりひとりの思考領域に影響を及ぼす社会的変化が起こっていることをそれ
は示しているにちがいない。sayaという人称代名詞は自己卑下の度が過ぎると見られたよ
うだ。世間周知の通り、sayaという語はsahayaに由来しており、hambaと意味を同じくす
る。つまり売買される奴隷を意味しているのである。わたしが知っているかぎりでは、わ
たしと同じ世代か、一二世代上のひとたちの中にhambaを一人称代名詞として使うひとは
いない。その語が一人称代名詞として使われることをわたしが知っているのは、王国時代
を描く文芸書を読んでいたからだ。その代名詞は普通、王に対して民が言上する際に使わ
れるものであり、時にpatikという語に替わることもあった。

hambaやpatikに対応する二人称代名詞として使われたのは、tuankuやbagindaだ。tuan 
hambaという語はたいてい、王に対するものでなく、社会ステータスが同等もしくは上位
にある者に対して使われた。hambaという語を使って話者は、たとえ実態がそうでなかっ
たにせよ、自分を話し相手に対するabdiやbudakの位置に据えた。hambaという語は、話者
が自分を話し相手より低い位置に据えていることを示すために使われただけである。つま
り話し相手に対する敬意を示すためのものだったのだ。


封建王制の時代から抜け出した現代のわれわれは、hambaという人称代名詞があまりにも
自己卑下を示すものだとして、sahayaから取ったsayaという語を使うようになった。会話
の中でakuが使われるのは、ステータスが同じでしかも親密度の高い者同士の間だけだ。
その意味で、スマトラ出身者はakuをより安易かつ一般的に使っている。そして最近はジ
ャカルタの影響を受けて、akuもguaやgueに取って代わられた。中国の一地方語だと言わ
れているその単語は、ジャカルタが持っている首都としての威厳のおかげで、国内のあら
ゆる町々に(特に若者層をメインにして)急速に広まった。シネトロン(TV映画)がそ
れに輪をかけるのに一役買った。

ところがジャワ人は、特に公的な集りの中で、一人称単数代名詞としてkamiを使うほうを
好む。多分、sayaという語ではまだ上品さが足りないと思っているのだろう。ムラユ語に
もkamiという語は存在しているが、意味が違っている。kamiは複数の一人称代名詞なのだ。
話者が自分自身を指して使う単語ではない。もちろん、その一人称複数代名詞が単数とし
て使われる例外的ケースも存在しているものの、それは王が自分自身を指して使う場合や、
書物の筆者が自著の解説の中で使う場合に限られている。だからジャワ人が自分を最大限
に卑下する意図で使うkamiは非ジャワ人に、まるで自分が王であるかのようにふるまって
いる印象を与えて、その尊大さが顰蹙を促すという皮肉な結果をもたらしている。


実際にジャワ語では、同等で親密な者の間でakuが用いられている。現代インドネシア語
として使われるようになったakuが、ジャワ人がかれらの言語文化の中で使っているakuを
移植したものであるということはありうるのだろうか?わたしにはわからない。そのテー
マに関する研究はいまだになされていないのだ。もしもそれが当を得ているのなら、ジャ
ワ語のたとえばkuloでなくakuが登場して来たのは実に興味深いものがある。なぜなら、
kuloはkawuloに由来する語で、ムラユ語のhambaを意味しているのだから。

hamba、saya、kami(単数用法)が封建王制社会に適した単語であるのは言うまでもない。
インドネシアが独立してデモクラシー制度を規範に置いてからは、それらの語は既にふさ
わしくないものになっている。akuの語がより適切と感じられるのは間違いない。わたし
はハイリル・アンワルの詩の一節を思い出した。「われわれはやっとakuが言える民族に
なったのだ」
hamba、saya、kamiからakuに至る道程は、決して安逸な道ではなかったのである。