「スラバヤ・スー(20)」(2017年01月19日)

こうして救急車は車内の捜索をまぬがれ、大切な機材を積んで街道をモジョクルトに向か
って矢のように走った。手に入った機材は再び山奥の村まで運び上げられて、叛乱ラジオ
局は復活した。スラバヤ市内から徒歩で脱出した患者と医師役のふたりは二日後、たいそ
う腹を空かした状態ながら、無事にかれらの本部にたどり着いた。

モリー・マクタヴィッシュとかの女を気に入ったロンドンっ子のイギリス人兵士は二度と
会うことがなかった。モリ―は姿をかき消してしまったのだから。


ジャカルタ・バンドン・スマラン・アンバラワ・スラバヤと至る所で戦火が燃え上がり、
あるいはその名残がくすぶっている状態にあるとはいえ、国際法的に見るならインドネシ
ア共和国はどこの国との間にも宣戦布告など交わしていない。

日本が無条件降伏して太平洋戦争が終わったとき、連合国はインドネシア共和国をオラン
ダ領東インドという一植民地の中に発生した原住民叛乱であると位置付けられた。その定
義に依拠するなら、叛乱を鎮圧しようとするNICAと原住民間の武力衝突という国内問
題が蘭領東インドの中で発生しているだけでしかなく、宣戦布告など起こりようがない。

一方のインドネシア共和国は、日本軍の進攻で植民地支配者のオランダ人が全領土から姿
を消し、日本軍政の統治下に数年を経過したあと、大日本帝国が敗戦降伏したことで日本
の統治も終了したため、原住民が民族自決の旗を振って独立したわけで、残るは国際社会
からの国家承認だけという、ここ数年前から世界を騒がせているダエシュと同じような立
場に立っている。

だから共和国政府上層部は共和国の敵をオランダ植民地主義とその具現であるNICAだ
けであると定義し、それ以外の諸国に対しては共和国の国家承認を獲得するための支柱で
あると位置づけて全方位外交を展開した。それはインドネシアのいくつかの都市を制圧し
た進駐軍の中核をなしているイギリスに対しても同じだ。

だからこそAFNEI軍が太平洋戦争の終戦処理のためにインドネシアのいくつかの都市
部を制圧したときも、共和国政府はその任務遂行をバックアップさえしたのである。


事態がおかしくなったのは、AFNEI軍が蘭領東インドの旧体制復帰のためにNICA
がインドネシアに戻るのを手助けしたことであり、インドネシアの国内問題に干渉しない
という言葉に対する理解がインドネシア側とAFNEI側で異なっていたことが、事態を
紛糾させてしまった原因だったと言えよう。

インドネシアの民衆は、NICAの復帰を手伝うAFNEI軍を敵とみなして戦闘行動を
開始した。上述の諸都市で戦火が燃え上がったのは、それが最大の原因をなしている。共
和国政府上層部のロジックと草の根民衆の考え方が一致しなかったために、事態の紛糾は
最大限に膨れ上がった。誰を敵と見なして攻撃するのか、というポイントに激しい不協和
音が鳴り響き続けたということだ。[ 続く ]