「スラバヤ・スー(21)」(2017年01月20日)

具体的には、非オランダ人であるなら、どの国の白人が中部ジャワや東ジャワの田舎町に
顔を出そうが、民衆はその白人を攻撃してはならないのが共和国の方針であったにも関わ
らず、民衆、中でも武装市民や民兵は、あらゆる白人に攻撃の銃口と刃を向けたのである。

共和国政府の方針が民衆に徹底しなかったのは、両者の置かれている立場がまったく異な
っていたためであり、どちらが悪いとか間違っていたというたぐいの問題ではない。国家
が発足したばかりの時点で、政府と国民の関係というものは往々にしてそのようなものに
ならざるを得ないだろうし、インドネシアの場合は独立後70年を経過してさえ、いまだ
に似たような関係を引きずり続けている。


当初NICA復帰を目論むオランダ人がインドネシア独立をなきものにしようとして連合
軍東南アジア地域司令部に吹き込んだインドネシアの状況に関する「実話」の化けの皮が
はがれていくのに伴い、インドネシアの現状に関する実態をジャカルタで取材している世
界各国のマスメディアには、AFNEI軍支配地域の外側にあるインドネシア共和国の真
の姿に対する関心が高まって行った。

スカルノ政府が共和国掌握地域の行政統治を信頼するに足る内容で行っている事実を世界
の報道関係者の目に触れさせることは、オランダの反インドネシア宣伝を孤立させるのに
大きい効果を持つにちがいない。スカルノ政府、そしてインドネシア共和国はオランダ人
が言っているようなものではない、という論調が国際社会に湧き上がれば、インドネシア
共和国はたいへん有益なバックアップを手に入れることができる。


機を見るに敏なスカルノ大統領は、ジャカルタに集まっている世界各国の報道関係者を引
き連れてインドネシア共和国の実情を視察する企画を打ち上げ、大勢の記者を東ジャワ周
遊の旅に招いた。AFNEI進駐軍が掌握しているジャカルタやスラバヤなどいくつかの
都市に居るかぎり、その外がどのようになっているのかを自分の目で見るのは不可能だ。
自力で外へ出るようなことをすれば、自己の生命は保証されないのだから。しかし共和国
大統領の招待であるなら、大舟に乘ることになる。

こうして、スカルノ大統領が大勢の外国人記者を東ジャワのセレクタに案内して来た。オ
ランダ植民地時代、セレクタは東ジャワ地方随一の高級山岳避暑地として発展した場所だ。
ジャワ島で最高級ホテルのひとつに位置付けられていたホテルセレクタは、今や往年の栄
光を伺わせるよすがもないが、東ジャワ視察団はそこに投宿した。

言うまでもなく、タントリの存在はインドネシア国内に知れ渡っている。かの女をホテル
セレクタに招いてひとりの白人の口からインドネシアの真実の姿を語らせることはきわめ
て有効な宣伝になるはずだと考えない者はいないだろう。共和国首脳がその機会を見逃す
はずがない。

ましてや、流暢にキングズイングリッシュを操るインドネシア名の謎の女性アナウンサー
に対面でき、その素顔を知ることのできる絶好のチャンスは、外国人記者たちの報道意欲
を掻き立てずにはおかないにちがいない。[ 続く ]