「スラバヤ・スー(22)」(2017年01月23日)

こうしてモジョクルトの山中の叛乱ラジオ局分室に、東ジャワ人民保安軍司令官のひとり
から手紙が届いた。「直ちにホテルセレクタを訪れて、スカルノ大統領に面会してほしい。
大統領と諸外国の記者たちが、インドネシア独立に関する話をあなたから聴くために待っ
ている。」


タントリがホテルセレクタの大ホールに足を踏み入れたとき、ホール内は人間であふれか
えっていた。中でも人民保安軍上層部から東ジャワの民兵組織指揮官に至るまで、軍服姿
の人間が大多数を占め、その中には公的な場に素顔をさらすことを嫌うブントモまでが混
じっている。

ブントモがあまり外へ出たがらないのは、スパイと呼ばれているオランダ側に通じる人間
がインドネシア人社会に多数混じっており、だれが本当の味方なのかわからなくなってい
る状況のせいだった。ブントモはその対策として自分に姿かたちの似ている者を影武者と
して何人も用意したと言われている。NICAがブントモを捕らえたという噂がときどき
流れたものの、その都度、捕らえられた「ブントモ」は数日後に釈放された。人違いだっ
たことが判明したためだ。


諸外国の報道機関はBBC、NBC、AP、ロイター、そしてライフ、タイム、ニューズ
ウィークなどの雑誌をはじめ各国の著名なメディアの名前が見られた。イギリス人、アメ
リカ人、オーストラリア人、フランス人などの他にインド人や中国人、そしてインドネシ
ア人記者も混じっていたが、オランダ人はひとりもいなかった。

サルンクバヤ姿で現れた白人女性はすぐに一座の注目を集めた。たちまち記者会見の場が
作られ、タントリが十数人いる記者たちの質問に応答する場面へと移っていく。

タントリはこれまで、自分の放送はせいぜいジャカルタからシンガポールくらいまでしか
届いていないだろうと考え、自分のことはその程度の狭い範囲でしか知られていないだろ
うと想像していたが、世界中に知られているという記者たちからの声を聞いて、あっけに
とられた。イギリスでかの女についての報道はミス・ダヴェントリーという名前でなされ
ていることを知り、かの女はクトゥッ・タントリというバリの人名についての講釈をする
はめになる。

記者たちはタントリの素顔を、銃火器を持って戦闘に参加している男勝りの冒険主義者と
いうイメージで描いていたが、本人はとてもそんな危険な女には見えず、ラジオ放送での
音調に沿った、まるで中学校の英語教師のような人物に見える、とコメントした。それを
捉えてタントリは、「自分は銃などには触れたこともなく、暴力には絶対反対です。」と
自分の信念を主張し、その延長線上でオランダやイギリスがインドネシア人に対して行っ
ている行動を激しく批判した。それにうなずく記者もいれば、反対に攻撃的な逆質問をぶ
つけてくる記者もいた。

記者会見が終わってから、タントリはスカルノ大統領や政府首脳たちに紹介された。政府
首脳たちはタントリの働きに満足していたようだ。[ 続く ]