「路上交通に見る文明度(終)」(2017年01月25日) インドネシアの国家指導層は、世界の潮流になってしまった西欧文明化に従って民族を導 いていく方向性を定め、その実践に当たっては、世俗法による法治国家の運営をきわめて 特定宗教が濃い色合いをにじませている国民感情との間に折り合いをつけながら、緩やか に進めていく方法を採っている。つまり、インドネシアの一般民衆の中に「命知らず」 「命要らず」の価値観はたっぷりと残されているということなのであり、インドネシア社 会が持つその側面を見落とすと思わぬ危険に見舞われる可能性が高い。 「命知らず」「命要らず」というのは、他人との勝負の場におけるそれなのであるから、 自分の生命を惜しまない人間が自分に敵対する人間の生命を自分のもの以上に尊重するこ となどありえないのは判り切っている。そんなことをすれば、自分は敵に敗れてしまい、 優れた人間である自分を実現させるための勝者の栄誉をわが身にまとうことなど不可能に なってしまう。インドネシアで喧嘩(暴力闘争)すると命がけになってしまうとわたしが 言っているのは、そんな原理が裏側に貼りついているからだ。 国家警察データによれば、2014年の交通事故件数は95,906、死者数28,89 7人、負傷者数136,581人、2015年は98,970件、死者26,495人、 負傷134,631人となっている。警察の判定によれば、そのうちの98%は人間の努 力で避けることができたはずのものであり、不可抗力はわずか2%しかない、とされてい る。人的要因が78%、車両の要因6%、道路状態0.9%、環境要因0.2%などとい うのがその明細だそうだ。 つまりインドネシアの文化では、安全を追求すること以上に街中で自分の「男らしさ」 「強さ」「勇ましさ」を示すことが優先され、神経質に「安全」のためのケアをすること を「女々しい」とする意識が勝っていることをそれが物語っているように思えてならない のである。 交通事故の71%をオートバイが占め、貨物運送車両が13%、乗用車12%、バス3% というのが車両別の明細だ。だが、交通事故の被害者というのは車両に乗っていた者だけ でなく、歩行者も含まれているし、歩行者が事故原因を作っているケースも少なくない。 政府当局はオートバイ運転者と歩行者への正しい道路交通教育を重点的に進めること、ま たバスなどに運転業務者として乗務する者への健康検査・薬物検査を励行することを目標 として掲げているが、これまでのところは運転業務者の健康検査はバス会社の責任、薬物 検査はルバラン帰省時期だけ、というのが実態だった。 それらは地道に行われなければならないことがらであるとしても、真昼間から街中を疾駆 する「命知らず」「命要らず」の二輪ライダーをおとなしくさせる方策にはならないだろ う。高速で追い越しざま、右鼻先をかすめるようにして四輪車の前に割り込んでくる二輪 ライダーの勇壮な姿はいつになったら消滅するのだろうか?[ 完 ]