「バニュワギはマルチ文化県(後)」(2017年01月31日)

普段は文化を共有する者たちのコミュニティを主ドメインにしているから、各種族の言葉
も維持されているが、もちろん毎日の暮らしにおける異種族間の共存は普通のことであり、
ルポブンカサンの祭りは共通の祭事として全員が顔を揃える。

伝統行事としてのその祭りでは、全体の統制がはかられる中で、各人が自分のできること
をして役割を果たす。金と労力を献ずる者、船に献納の品を積んで運ぶ者、飲食品を振舞
う者などさまざまだ。水牛を購入して頭を海に流すのは、ジャワ文化に沿ったものだろう。
しかし、このバニュワギの地に移住してきたのはヌサンタラの諸種族ばかりではない。中
国人もいれば、イギリス人もいた。さまざまな船がバニュワギに求めた通商産品は主に綿
・コメ・塩などだったが、アヘンの顔も歴史の中に垣間見えている。


歴史の中で、バニュワギの地に移住した諸種族はそれぞれがで黄金期を迎え、そして衰退
して行ったものも少なくない。マンダル族はジャワ島南部地域に村々を構えたものの、1
793年にブギス族の侵略を受けて没落の道をたどった。マンダル族の村々は今、多くが
密林と化している。

マンダル族に取って代わったブギス族はその全盛期を謳歌したあと、今度はマドゥラ族の
進出に押されて撤退して行った。

今バニュワギの地にあるカンプンマンダルは、バニュワギ市内のボーム海岸にある。バニ
ュワギの港から上陸したアラブ人は、市内ラテン地区にアラブ人街を作った。マドゥラ族
はバリ海峡沿いの海岸地区に住み着いている。そして中国人も港に近いカンプンプチナン
にその名残をとどめている。

だがバニュワギの内陸部に入り込んで水田耕作を行い、分限者になった中国人も少なくな
い。中国系富裕農民が集まって住んだ地区はチュンキンと呼ばれている。その地名はかれ
らの弁髪を意味するkuncung winkingを語源としているそうだ。


種々の文化が混じり合うと、料理や芸能に影響がもたらされる。
バニュワギの伝統文化を代表するガンドルンは、言わば諸文化の集大成だ。その伴奏には、
中東由来のルバーブやヨーロッパ由来のバイオリンが加わる。

バニュワギ料理の中には、他地方で果実の間食とされるルジャッに魚肉と汁が混ぜられた
ルジャックランがある。ジャワの農民文化とオシンあるいはウシンと呼ばれるマンダル〜
ブギスの海洋文化が混じり合った典型例のひとつだろう。

ブギス族の海洋文化では、帆船航海に必要な風を呼ぶためのダエンルユンを招くことが航
海技法のひとつとして今でも維持されている。[ 完 ]