「スラバヤ・スー(30)」(2017年02月02日) ダニエルズもうなずいている。ブンアミールは笑い出した。 「なるほど、それはグッドアイデアだ、少尉。さっそくその方法を探ってみよう。」 ブンアミールもタントリも、そんな算数が成り立つとは思っていなかった。ブンアミール はそれをタワルムナワルの最初の値付けとして交渉を開始するよう指示した。ところがヒ ョウタンからコマが出た。 イギリス軍は2百人のインドネシア人捕虜をヨグヤカルタに送り届け、ブンアミールは自 らアンダーソンとダニエルズのふたりを伴って飛行機に乗り込み、ジャカルタに飛んだ。 イギリス軍司令部でふたりの身柄を引き渡したあと、ブンアミールはふたりから別れの挨 拶を受けた。そのときダニエルズは列席しているイギリス軍上層部を前にして、たいへん なことを口にした。 「たいへんお世話になりました。わたしの生命を救って下さった皆さんによろしくお伝え ください。そして大臣閣下には、インドネシア共和国が早急に完全独立を達成されるよう、 わたしの祈りをお伝えします。ムルデカ、トゥタップムルデカ!」 ダニエルズが急遽イギリスに送り返されたのが、病状を懸念してのことだったのか、それ とも捕虜引き渡しの場で口走った言葉のゆえだったのか、真相を語った者はひとりもいな かった。 およそ一年強の終戦処理を終えたAFNEI進駐軍はインドネシアを去った。その中核を なしたイギリス軍からすべてを移管されたオランダ領東インド文民政府(NICA)は、 いよいよかれらが反乱分子と規定しているインドネシア共和国と対峙することになる。 NICAはオランダ側の支配地域を拡大させるための軍事行動とともに、インドネシア共 和国支配地域に対する経済封鎖を開始した。その封鎖をかいくぐって物資輸送をこころみ た多数のインドネシア人が海の藻屑と消えた。 物資の欠乏がまたまたインドネシア人を襲う。そして市場価格暴騰をはかって米の売り惜 しみが始まった。ジャワで米流通機構の仲買から末端の小売網に携わっているのは華人だ。 かれらが米を隠してしまった。街中にある食糧店が軒並み店を閉めてしまう。果物さえ販 売されなくなった。ヨグヤカルタでは1キロの米を買うことすらできない。 ホテルムルデカも食材が手に入らず、レストランは閉店。街中でも食べ物を買える場所が なくなってしまった。タントリはもう三日間、水だけで暮らしている。会う人ごとに、み んなが空腹を訴えた。そんなとき、国防省諜報機関員のひとりが、大統領官邸に食事に来 るようタントリを誘った。諜報機関は華人が隠匿している米の倉庫を一斉手入れして差押 え、食糧店を開いて小売販売を命じ、小売価格は政府が統制する、という方針をタントリ にささやき、それまでは大統領官邸に食べに来なさい、と奨めた。[ 続く ]