「インドネシアの治安は良いか悪いか?(前)」(2017年02月02日)

日本で治安という言葉は、犯罪の有無や民衆の社会生活における秩序の遵守に関連付けて
使われる傾向が強まっているように感じられる、と思っているのはわたしだけだろうか?

本来、治安という言葉はもっと広範囲な意味を持っていたはずなのだが、世の中が治まっ
て社会的に大規模な混乱や危険を国民生活にもたらす事件が希少になり、デモクラシーと
いう制度と形式に即して国家生活が平穏円滑に営まれるようになって、暴力・武力による
国家体制や国民の安寧秩序への攻撃を起こそうとする国民が稀有になり、国家治安維持機
関の国民統制は昔語りとなって、潜在的危険は国外からやってくるものだけ、という太古
のムラ社会が国家レベルに高まったような段階に達すると、どうやら語義が実態を反映し
て用法が変化するということが起こっているのだろう。

ただし、その用法が妥当性を持つのは日本に関するケースなのであって、その語義を用い
て「インドネシアの治安はどうですか?」という質問をもらうと、何から話せばよいのか
当惑してしまう。日本以外の多くの国では、まだまだ国内に国家体制を武力で転覆させよ
うとする人間がうごめき、あるいは国民諸勢力間での暴力・武力を用いた敵の殲滅を目指
して攻撃し合うようなことが行われているのだから。

そういう国における治安というのは昔の日本で使われていた「治安」という言葉そのまま
なのであり、それを忘れて社会コミュニティにおける治安にばかり焦点を移してしまうと、
ピンボケが起こる可能性が高まるにちがいない。


インドネシアにおける国家レベルの治安は、宗教問題からダエシュ関連テロリズム問題や
政権争奪に関連する諸陰謀に至る諸問題を内包しているとはいえ、国家治安維持機関の働
きで紛争や大事件のぼっ発は抑制されているのだから、治安は決して悪くないと言える。

しかし社会生活における犯罪や秩序の遵守といったミクロレベルに目を移せば、治安が良
いなどとはお世辞にも言えない状況であるのも確かだ。だからこそ、インドネシアの治安
を尋ねられると当惑するのである。


首都ジャカルタとその周辺地域における犯罪は、全国でもっとも密度が高い。人口が国内
トップの稠密さで、おまけに全国で流通している金の半分以上がその地域に集中している
のだから、全国から労働力が集まってくるし、そして犯罪者も集まって来る。

犯罪が起これば被害者が必ずいる。人口10万人中で何人の被害者が出るのかというクラ
イムレートは毎年140人前後であり、過去最高は2011年の149人、最新の201
5年は140人だった。

更に、何分に一件犯罪が発生しているのかというクライムクロックについて2015年の
データを見るなら、首都警察管区では11分49秒ごとに事件発生となっていて、国内で
ナンバーワンだ。首都警察管区というのは、東西南北中央ジャカルタ市警、スリブ群島警
察、ブカシ市警と県警、タングラン市警と県警、デポッ市警、スカルノハッタ空港警察、
タンジュンプリオッ港湾保安遂行ユニットから成っている。[ 続く ]