「スラバヤ・スー(31)」(2017年02月03日)

自分だけが特権を得ることを嫌うタントリはそれをありがたく断り、自分で何とかする、
と諜報機関員に告げた。


ヨグヤの街中は、火が消えたようになっている。民衆は空腹を抱えて日々の経済活動を営
む力を失い、家の中にこもっておとなしくしている。ありとあらゆる商店も店を閉めてい
る。

タントリは街の様子を観察しながら通りを歩いた。そして一軒のアートショップの前に出
た。コヒノールという看板を掲げたその店も閉まっている。店主は知り合いのインド人だ。
タントリはその店の表を叩いた。

タントリが空腹を訴えると、店主は「少ししかないが、分かち合いましょう」と優しく応
対した。量的にたいへん限られた食事ではあったが、タントリは暖かい友情のこもったそ
の食事にとても満足した。


そしてその夜、ヨグヤカルタの隠匿米に官憲の手が回った。華人の商店や倉庫が強制的に
開かれて、隠されていた物資がすべて没収された。華人たちはあてにしていた暴利どころ
か、その元手すら失ったことになる。それ以来、ジャワで投機目的の物資隠匿はなくなっ
た、とタントリは書いているが、かの女がインドネシアから去ったあとも物資隠匿が消え
失せたということはなかなか言いにくいにちがいない。


しばらくしてスカルノ大統領は、民情視察と住民への鼓舞を兼ねて東ジャワの共和国領内
を巡行する旅を企画した。この旅には共和国政府要職者のほとんどが同行し、その随行者
や関係者をもまじえた大集団となった。タントリもその旅への随行を命じられた。

一行がバニュワギを訪れたとき、地元行政官の役所前に住民を集めて大統領のスピーチが
行われた。タントリはスカルノの演説術の一部を次のように紹介している。
「わたしは百パーセントの独立しか決して受け入れない。1パーセントでも欠けていれば、
斟酌の対象にすらならない。90パーセントの独立を、わたしは受け入れなければならな
いのだろうか?」

聴衆は叫ぶ。「ティダッ!」
「99パーセントの独立なら、わたしは受け入れなければならないのか?」
「ティダッ!」ひとつになった聴衆の声がこだます。
「だったら、99.5パーセントならどうだろうか?」
「ティダッ!ティダッ!ティダッ!」
「だったら、わたしが受け入れなければならないのはどれなんだ?」
「百パーセントの独立!」
そのような形でブンカルノは民衆と触れ合い、民衆が自分を愛していることを実感する。
いや、、愛どころか、それは信奉なのかもしれない。[ 続く ]