「スラバヤ・スー(35)」(2017年02月09日)

子供たちは父親の行動に反対し、息子は父親と縁を切ったし、兄弟たちもそれを恥じて世
間から姿を隠すようになった。

いったいなぜそんなことが起こったのか?タントリは考え込み、そして思い当った。かれ
はフランス人を妻の一人に持っているのだ。そのルートから圧力がかかったにちがいない。
その間の事情はどうあれ、後年その結果は明白な形を取った。NICAが作った東インド
ネシア連合国が瓦解したとき、かれはインドネシア共和国統一国家から完全に干されてし
まったのである。

懐かしいひとびとの消息を聞いたタントリは、かれらと再会したいと切望した。だが、バ
リ島に潜入するすべはない。警戒を強めているNICAに捕まれば、かの女の身柄がどう
なるかは保証のかぎりでないのだ。タントリはインドネシア共和国のためにヨグヤカルタ
やソロから「インドネシア自由の声」のアナウンサーとしてラジオ放送を世界中に流す仕
事を続けなければならない。


ピトは病気になった父親を見舞いにバンドンへ行き、そのあとスラバヤへ戻ってブントモ
やドクトルSたちにバリ島でのゲリラ活動への武器弾薬支援をどのように行うか、その相
談を持ち掛けるつもりだ。

タントリはしばらくヨグヤで休養してから旅立つよう勧めたが、ピトはそれを辞退してバ
ンドンに向けて去った。


AFNEI軍が終戦処理を終えて解散し、イギリス軍がインドネシアから去ったあと、復
帰したNICA(蘭領東インド文民政府)は反乱分子と断定しているインドネシア共和国
に対する制圧行動を強化する。

インドネシア共和国を支援してオランダに対する批判の先頭に立ったのは、オーストラリ
アとインドだった。ネール首相は国連で厳しいオランダ弾劾演説を行ったし、オーストラ
リアの港湾労組は軍用貨物を積んだオランダ船舶に対してスト行動を起こした。

イギリス政府の仲介でインドネシア共和国とオランダ政府がリンガルジャティ協定を結ん
だあと、しばらくしてオランダは協定を破棄して警察行動を起こす。

NICA軍がヨグヤカルタまで進攻してくれば、タントリはきわめて危険な立場に立たさ
れる。捕らわれれば、裁判もなく射殺される可能性も考えられる。マカッサルでウェステ
ルリンクが何をしたかを知らないインドネシア人はいない。

そんな状況を慮ったのだろう、親しい諜報部門の少佐が話を持ってきた。飛行機でオース
トラリアに飛び、オーストラリア人にインドネシアの置かれている状況を宣伝して理解を
求め、シンパを増やそうというアイデアだ。

タントリはアメリカのパスポートを日本軍憲兵隊に取り上げられてなくしてしまっている
ことを説明した。すると少佐は、すぐにインドネシアのパスポートを作ってあげるから大
丈夫だと請け合う。[ 続く ]