「スラバヤ・スー(42)」(2017年02月21日)

翌日早朝、タントリはシンガポールの様子を見るために、ラッフルズスクエアに車で送っ
てもらった。二時間後に迎えに来るよう運転手に頼んでから、タントリはシティの散策を
始める。長年インドネシア人の中で暮らしてきたタントリは、白人だらけの街中に大きな
違和感を抱いた。自分がしっくり納まる場所は、ここではないというあの感覚だ。

キャピトルシアターの表で、新聞の号外ニュースが数枚掲示されているのに気付いた。
「スラバヤ・スーがシンガポールに」と書かれたヘッドラインが目に飛び込んできた。周
囲を見ると、同じ号外が建物の壁や売店の壁に貼られたり、立てかけられている。
バリ島の次になじんだスラバヤの町には深い愛着がある。スラバヤのことならたいてい知
っている自分だが、スラバヤ・スーっていったい誰なの?どうしてそのひとのことがこん
な特ダネ記事になるのかしら?タントリの好奇心が足を売店に向かわせた。
買った新聞のそのヘッドラインの下の記事を読んでいくタントリの顔色が変わって来た。
「これって、わたしのことだわ。わたしがそのスラバヤ・スー?」

スラバヤ・スーは突然ジャワから姿を消した。信頼できる筋からの情報によれば、かの女
はいまシンガポールに潜入している。スラバヤ・スーの行っているインドネシア支援のラ
ジオ放送に対して、オランダ・イギリス・アメリカの各国政府は良い感情を抱いていない。
オランダ海軍が行っている東インド植民地の海上封鎖をかいくぐって、スラバヤ・スーは
シンガポールにやってきた。かの女はいったいどのような方法でそれを行ったのだろう
か?
記事の内容はおおよそそのようなものだった。


タントリは確かにスラバヤで叛乱ラジオ局のアナウンサーになった。スラバヤの戦闘が終
わってからも、スラバヤ近辺の山岳部から放送を続け、その後ヨグヤカルタに移って国営
事業である「自由インドネシアの声」ラジオ放送のアナウンサーを続けていた。だからス
ラバヤという地名が貼りつけられたのだろう。だが、スラバヤ・スーとはなんたることだ
ろうか?まるでシャンハイ・リルやトーキョー・ローズと同類にされている。自分は戦争
プロパガンダを読み上げているのではないというのに・・・・

その新聞を買い占めて全部を灰にしてしまいたい。そんな衝動と無念さを抑えて、タント
リは迎えに来た運転手を探して車に乗り、帰途についた。

早くあの家の主と相談しなければならない。シンガポール行政府当局がタントリをそのま
ま放置しておくことはできないに決まっている。捜査が開始されたなら、遅かれ早かれ官
憲の手があの邸宅に伸びてくるのは確実だ。自分はそれ以前にあの邸宅から姿を消してお
かなければ、あの一家に迷惑がかかる。とりあえず逃げ込む先は大佐のビラしかないが、
大佐たちは数日間出張しており、あのビラにはいま誰もいない。

ところが帰宅すると、一家は全員が知人の結婚式に出かけたあとだった。夜まで帰らない
という使用人の話だ。タントリが不安にさいなまれながら時間を過ごしているとき、邸内
にジープが一台やってきて、白人男性がふたり降りた。捜査員が早くも嗅ぎつけてきたの
だろうか?[ 続く ]