「スラバヤ・スー(46)」(2017年02月27日)

「インドネシアの海岸からインドネシアの船とクルーで海に乗り出すのと同じことをシン
ガポールですることはできません。シンガポールではあらゆることがらが厳しく監視され
ていて、法規に従わない出港をするのは無理です。おまけにオランダの海上封鎖をその船
のために一部開放してくれなどと、イギリス人がオランダに要請する可能性はほとんどゼ
ロでしょう。反対に、出港を禁止されるのがオチです。
あなたは中国人の船が海上封鎖をかいくぐってインドネシアと密輸を行っているとおっし
ゃいますが、そのような船はシンガポールから出ているわけではありません。マラヤやタ
イあるいはベトナムの小さい港から出ているのです。おまけに海上封鎖に引っかかって沈
められる船が増えているため、中国人も密輸の意欲が減退しているのが最近の状況です
よ。」

モネム氏の表情が暗さを増すのを見て、タントリはかれを元気付けたいと思った。少なく
とも、モネム氏をヨグヤカルタに無事送り届けることは、インドネシア共和国の前途に大
きい光明を灯すことになるのだから。
「しばらくわたしに時間をください。わたしの知り合いたちに相談して、可能性を探って
みます。もし可能性が見つかれば、すぐにあなたのホテルに連絡します。それまでは、落
ち着いて待っていてください。そして、わたしたちが話したことがらは絶対に誰にも知ら
れないよう、秘密を厳守してください。」


タントリは考えあぐねた。たとえモネム氏がジャワ島に上陸できたとしても、そこはヨグ
ヤカルタへの公共運送機関が利用できない場所になる可能性が高いし、他の交通手段さえ
手に入らない可能性が高い。おまけに、不審な外国人と見られて過激派地元民に捕まれば、
スパイ扱いされて取調べなしに処刑されるかもしれない。

そういうリスクを避けようとすれば、ジャカルタやスラバヤなどNICAの支配下にある
町に上陸せざるを得ないが、上陸目的がヨグヤカルタのインドネシア共和国を訪問する使
節であるということになれば、即座に逮捕されるだろう。

ともかく、翌朝からタントリは中国人やインドネシア人と接触して可能性を打診しはじめ
た。しかし誰からも好感触は得られない。マラヤ人漁村まで訪れて、調べて見た。スマト
ラへ渡るのなら、と応じる者もあったが、ジャワと聞くと誰もが退いた。

ほとんど絶望状態でタントリが調べているとき、インドネシア共和国政府がダコタ機をチ
ャーターしてシンガポールからヨグヤカルタに飛ばす計画があることを耳にした。日本軍
が送り込んだインドネシア人労務者の一団が終戦時にシンガポールに滞在していたのだ。
かれらを帰国させるようシンガポール行政府はインドネシア共和国側に勧めた。当然なが
ら、オランダ側の了承もイギリスが取りつけた。論理的にはNICAがかれらを引き取る
のが筋であるというのに、オランダ側は叛乱勢力と決めつけているインドネシア共和国が
かれらを引き取ることに同意したのである。

これは絶好のチャンスだとタントリは見た。ところが、その帰還プロジェクトの世話役に
なっているのが、砂糖売上代金のことでタントリを欺いたインドネシア人だったのだ。誠
意を尽くしてその男を説得するしかないとタントリは考えて、その男を訪れた。[ 続く ]