「スラバヤ・スー(47)」(2017年02月28日)

インドネシア共和国の将来にとってたいへん大きい意味合いを持っているモネム氏を労務
者の中に混ぜてほしい。かれは色が黒いし、他の労務者と同じようなボロボロの衣服を着
せたなら、絶対に不審を抱かれることはない。

かれは強硬に反対した。「われわれがそんなことをしたらイギリス人が喜ぶはずがない。
それが明らかになったら、インドネシアは二度とシンガポールからの飛行機チャーターを
認めてくれなくなるだろう。おまけに、飛行中にオランダ側がそれを知ったら、飛行機は
NICAの飛行場に強制着陸させられるに決まっている。そうなれば、ヨグヤまで労務者
を送り届けることさえできなくなる。飛行中に撃墜されることだって、起こりうるんだ
ぞ。」

タントリはモネム氏の持ってきた国家承認の政治的意味合いを繰り返した。アラブ世界で
インドネシア人同胞が力を尽くした成果が今ここにある。この成果が世界中で認知される
ために、モネム氏はヨグヤカルタを訪れてスカルノ大統領に親書を奉呈しなければならな
い。困難な道程を乗り越えてモネム氏をヨグヤに送り届けることにあなたが尽力するなら、
インドネシア共和国へのあなたの大きい貢献になる。この秘密をわたしたちが守っている
かぎり、イギリス人がそれを知ることはありえない。


かれはしばらく沈思してから、最終的にタントリの要請に応じた。
「よろしい。モネム氏は労務者の姿で飛行機に乘ってもらいましょう。飛行機は2日後の
午前6時にカラン飛行場から出発するので、午前5時にあなたのビラに迎えの自動車を送
るから、用意しておいてください。。」

タントリはこの朗報を持ってモネム氏のホテルを訪れた。モネム氏はたいそう喜んだ。フ
ァルーク国王の使節がクーリーの服装で目的国を訪れるなんて、まるで小説のようだ。ふ
たりは声を発てて笑った。


当日午前4時、モネム氏はボロボロの服装でタントリのビラを訪れた。ビラの使用人はタ
ントリが浮浪者のような男を客に迎えて茶を供するよう命じたので、たいそう驚いた。

インドネシアに到着してからのかれの行動について、タントリはモネム氏にいろいろな注
意を与えていたが、5時になっても約束された迎えの自動車はやってこない。更に数時間
経過したが、何の連絡もない。不安に駆られたタントリが世話役の男の家に電話してみた
が、誰も電話を取らない。タントリはタクシーを呼んでモネム氏と一緒にカラン飛行場に
急行した。モネム氏はコートを着てクーリーの服装を隠した。

モネム氏をタクシーに置いたまま、タントリはそこはかとなく情報を探った。そして、労
務者を乗せたダコタ機は午前6時に予定通りに出発し、世話役のインドネシア人もそれに
同乗してヨグヤカルタに向かったことが明らかになった。またしてもタントリは欺かれた
のだ。

タントリは口惜しさと恥ずかしさを抑えて、モネム氏にありのままを話した。モネム氏は
失望をかけらも見せずに、反対にタントリを慰めた。[ 続く ]