「パンチャシラよ、永遠なれ(2)」(2017年02月28日)

そのパンチャシラについて、もう一度内容を確認しておこうと思う。パンチャシラとはサ
ンスクリット語から取り込まれた古ジャワ語のパンチャ(5)とシラ(原理)という語か
ら成っている。

一説では、パンチャシラより先にムハンマッ・ヤミンが新生インドネシア共和国が基盤に
据えるべき5つの原理を次のように説いたとされている。
1.Peri Kebangsaan
2.Peri Kemanusiaan
3.Peri Ketuhanan
4.Peri Kerakyatan
5.Kesejahteraan Rakyat
要は、国家原理はそれらの5項目をカバーしなければならない、という意図だったようだ。

1945年6月1日にスカルノは国家原理を次の5項目にまとめてパンチャシラと称し、
独立準備調査会で発表した。
1.Kebangsaan Indonesia
2.Internasionalisme atau Peri-Kemanusiaan
3.Mufakat atau Demokrasi, dasar perwakilan, dasar permusyawaratan
4.Kesejahteraan Sosial
5.Ketuhanan

それが調査会の中で練り上げられ、そして最終的に確定したのが次の内容だ。
1.Ketuhanan Yang Maha Esa
2.Kemanusiaan Yang Adil dan Beradab
3.Persatuan Indonesia
4.Kerakyatan Yang Dipimpin oleh Hikmat Kebijaksanaan, Dalam Permusyawaratan / 
Perwakilan
5.Keadilan Sosial bagi seluruh Rakyat Indonesia
上の5項目の順番を優先度と見るなら、それぞれの発案の中で項目別の優先度が転変して
いることがわかる。


中でもKetuhananをスカルノが他の項目より低い優先度で考えていたのは、インドネシア
という国を日本のような西欧列強に伍す国に育て上げていくために、宗教まみれの国民で
はそれがおぼつかない、ということを痛感していた結果だろうと思われるのだが、他の民
族指導者の多くは現存する民族感情を肯定する姿勢を示したようだ。その民族感情の中味
というのは、圧倒的マジョリティのイスラム教ならびに国家生活よりも宗教生活を上位に
置く生活観であり、宗教対立を当然と見なす保守的感覚であり、科学の進歩よりも教典教
義の盲目的追従を最善の姿勢とする先例主義だったということだろう。

ある意味で急進的なスカルノのその考え方はレジームの後半にかれを一種の独裁者的存在
に押し上げ、Ketuhananを蔑視する共産党を政治体制のひとつの柱にしてしまうという失
政へと向かわせた。冷戦構造の狭間における930事件の勃発というのがその帰結である
のは明白だ。[ 続く ]