「母語(1)」(2017年03月01日)

母語とは、赤児が育っていく中で最初に意思疎通のために学び習得する言語を意味してい
る。インドネシア語でも文字通りbahasa ibuと言い、英語でもそのままmother tongueと
表現されるが、その術語の形成は赤児が母親の言葉を聞きながら育つというユニバーサル
な状況下における、その母親の言葉を意味していたことに由来しているように思われる。

ではあっても、母親の言語がその子供の母語にならない実例はたくさんある。日本人男性
が外国人の妻を持って日本で暮らし、混血の子供が生れる。その子は幼児期まで母親の手
の中で育ち、母との会話は母親の母語でなされていたにもかかわらず、幼稚園や小学校と
いった家の外にある社会との接触が始まるにつれて、強く日本語に傾いていく。こうして
子供は周辺のだれかれとの意思疎通において母親との間で使っていた言語は使わなくなり、
もっぱら日本語へとシフトしてその混血の子供の母語は日本語になってしまうのである。
母親がそのときの対応を誤れば、子供は母親の母語すら拒否するようになるだろう。

日本文化が持っている特徴的な性質のひとつがその結果をもたらしているように、わたし
には思える。というのも、西洋諸国にしろ、東南アジアにしろ、似たような状況に置かれ
た混血児の多くは母親の言語を維持しつつ、バイリンガルやマルチリンガルになっていく
のだから。


東南アジアのようなマルチ言語社会の場合、ことはもっと複雑になって来る。たとえばイ
ンドネシアの場合、ミナンカバウ人の男とスンダ人の女が結婚して家庭を持ち、スラバヤ
に住んだとき、その子供の母語はいったいどうなるのかというようなケースで、インドネ
シアでは決してそれが珍しいパターンとは見られていないのだ。

最初に意思疎通のために学び習得する言語が複数で同時進行した場合、母語は複数になる
だろう。母語に第一言語などという定義を当てはめていれば、そのうちに訳が分からなく
なるにちがいない。観念的な知識を弄んでいても、生産性はきっと生まれないだろう。

インドネシアでは今や、国民はだれもがインドネシア語を使える。その一方で各種族文化
における日常生活言語として748の地方語が存在している。地方語を保存し活性化させ
ることは、多様な文化を尊重する国是に沿うものであり、1945年憲法第32条(1)
項には、国は地方語を国民文化資産として尊重し、それを保全すると記されている。その
ために中央政府と地方政府は協力して地方文化の育成を行い、地元民の母語使用の促進を
はかっている。

地方語には文字を持つものもあれば、持たないものもある。勢力の大きい種族はたいてい
文字を持っており、文化の高さと勢力の大きさが相関関係にあることを感じさせている。
[ 続く ]