「スラバヤ・スー(50)」(2017年03月03日)

それから始まった曲芸飛行はタントリに生きた心地を忘れさせた。いきなり急上昇してか
ら、海面に向けて急降下していき、旋回してまた上昇するという凄まじい動きにタントリ
は冷や汗を流し、知らぬ間にモネム氏にしがみついていた。モネム氏は動じる気配も見せ
ずに、タントリの背を軽くたたきながら慰めていた。

どのくらい経ったか、恐怖の時間が過ぎ去って機体が水平飛行に移ってから、無線係がや
ってきた。「追尾を振り切ったので、もう安全です。今はボルネオの上空です。」

それからは平穏な飛行が続き、ヨグヤカルタの飛行場に無事着陸した。帰りはもっと安全
なルートを通りましょう、とパイロットはタントリに約束した。


ふたりはヨグヤカルタの市内に移動し、ホテルムルデカに入る。タントリが戻って来たと
いう知らせに、旧知の人々が大勢タントリに会いに来た。みんなは、オランダ封鎖線の向
こう側がどうなっているのかを知りたがった。

タントリはモネム氏に、今回のヨグヤカルタ行きの手配をだれがどのようにしたのかとい
うことをすべて秘密にしてほしい、と依頼した。スラバヤ・スーが報道界にとてつもない
ニュースバリューをもたらしている状況を実感しているタントリは、インドネシアとアラ
ブ諸国との国交開設ニュースがスラバヤ・スーの名前の陰に隠れてしまうこと、さらにス
ラバヤ・スーのシンガポール不法出国にからんでイギリス企業の名前が世間にさらされる
ことを怖れたからだ。インドネシア側でも、その事実は国防省上層部と最高裁の一部にし
か知らされず、一般のひとびとのまるで知らないことがらとして秘匿された。


翌朝、スカルノ大統領はモネム氏を接見し、親書を受けてアラブ連盟との国交を開くこと
に同意し、返書を用意した。式典を終えて任務を果たしたモネム氏はインドネシア共和国
側が用意した歓迎懇親会を楽しんだ。

一方、タントリはマディウン近くの山地で療養中のブンアミールに会うため、ヨグヤを離
れた。ブンアミールはタントリの報告を聞き、無断で行った1万米ドルの保証を咎めるこ
ともなく、シンガポールに滞在中の大佐に命令書を書いてくれた。1万米ドルおよびタン
トリがオーストラリア〜アメリカへ渡航するための費用をタントリに渡すように、という
内容だ。

タントリはこのままヨグヤにとどまりたい、とブンアミールに頼んだが、ブンアミールは
禁止した。「NICAは強力な軍事力で共和国領土を侵略しており、それをとどめる力は
共和国側にない。ヨグヤカルタがNICAの手に落ちれば、共和国要人は逮捕され流刑の
目に遭うだろうし、そんな中であなたの生命はだれにも保証できないものになる。NIC
A軍がここまでやってきたとき、あなたがここから遠くにいればいるほど、われわれは気
が楽だ。
あなたにはオーストラリアやアメリカでまだまだインドネシアのために働いてもらいたい。
それ以上に大切な仕事は、もうここにはないだろう。」

タントリはブンアミールと別れてヨグヤに戻った。それがブンアミールとの最期の別れに
なった。[ 続く ]