「スラバヤ・スー(51)」(2017年03月06日)

翌日、タントリとモネム氏、そしてインドネシア共和国要人とその付き人たちが同乗して、
飛行機はヨグヤカルタを飛び立った。要人たちの中には、インドまで渡ってネール首相と
の会談を計画しているハジ・アグス・サリム氏も混じっていた。パイロットは約束通り安
全なルートをたどったようで、シンガポールまで平穏な飛行が続き、オランダ軍用機はま
ったく見かけなかった。

シンガポールに到着して乗客は全員が入国手続きを行ったが、パスポートのないタントリ
は留め置かれてシンガポール行政当局に油を絞られることになった。さんざんに嫌味を聞
かされたが、結局最後には赦された。


大佐のビラに戻ったタントリはさっそくパスポートの成り行きをアメリカ領事館に問い合
わせ、さらにオーストラリア高等弁務官にパスポートなし入国許可の結果を尋ねに回った。
アメリカ領事館ではワシントンからの回答がまだないままだったが、オーストラリア政府
はタントリのパスポートなし入国を許可する回答を送ってきていた。

これでオーストラリアへ行って仕事ができる。喜んだタントリは渡航費を大佐からもらう
ためにビラに戻った。飛行機チャーター代金1万米ドル支払いと残りの資金をタントリの
渡航費にあてるように、というブンアミールから大佐への命令書は戻って早々、大佐に渡
してある。

ところが大佐は意外な返事をした。「飛行機代の1万米ドルは確かに支払った。しかし資
金はあまり潤沢でなかったから、残ったわずかな金はシンガポールで活動している仲間た
ちの間で分配した。次に資金ができるのは、オランダの海上封鎖を無事に抜けたゴムと砂
糖が倉庫に入る時だ。現物が倉庫に入れば金はすぐにできるが、現物が果たしていつ到着
するのか、誰にもわからない。ひょっとしたらいつまでたっても到着しないかもしれない。
われわれはみんな、そういう不透明な状況下に仕事をしているのだ。」

大佐はルピアをたくさん持っているが、インドネシア共和国領土外ではただの紙切れにす
ぎない。タントリはまた金策に走ることにした。金と理解を持っている華人が対象だ。だ
が、そう簡単に資金は出てこない。シンガポールで無為に暮らすよりは、またジャワ島に
戻ったほうがよいのかもしれない。シンガポールにインドネシア共和国資金がまたできた
とき、再度出直してくるのが良いのではないだろうか?


タントリがシンガポールで得た友人たちの中に、弁護士でレストランのオーナーである裕
福な華人がいる。かれはマラヤを独立させる大望を抱いて運動しており、タントリからイ
ンドネシア独立に関する話を聞くのを好んだ。かといって、タントリに何かを相談するわ
けではない。
「あなたは長年インドネシアに暮らし、民衆の考え方から政治的なことがらまで熟知して
いるから、インドネシアのことを語るのはふさわしい。しかしマラヤとインドネシアは同
じではない。インドネシアの知識と経験だけで、このマラヤで何かができるとは思わない
方がよい。」
タントリも、実にその通りだと思った。[ 続く ]