「パンチャシラは宗教独裁への防波堤(前)」(2017年03月08日) インドネシアのデモクラシーは、複合種族による統一民族国家という一体感と、その構成 員はすべて平等公平であるという原理が支えている。昨今インドネシアで起こっている現 象は、それらの原理が揺さぶられていることを示すものであり、その動きが激しさを増せ ば、デモクラシーを基盤に据える統一国家は存立し続けることが困難になっていくにちが いない。 インドネシア科学アカデミー会員ユディ・ラティフ氏はその一体感と公平感をインドネシ アデモクラシーのふたつのウイングだと言う。そのウイングのひとつである公平感はイン ドネシアの社会格差が拡大の一途であるために、公平さを全国民に確信させることが困難 になっている。この現象はインドネシアだけでなく、世界中の諸国で同じように進行して いるものであり、インドネシアがグローバル経済の一環につながっているかぎり、その影 響から免れるのは至難のわざだ。 ところがもうひとつのウイングである一体感も、ヌサンタラの基本的な精神価値である寛 容性に向けられた攻撃によって、一体感を織り上げていた錦が裂け始めていると見られて いる。 しかしまだ火の手があがったわけではない。鍵を握っているのはインドネシアイズムの将 来に変化をもたらす可能性を抱いているミドルクラスだ。アーバナイゼーションで村落部 から都市部に移って来てインテリミドルクラスに昇格するひとびとがいるとはいえ、経済 的政治的要因でその上昇が阻まれることもあれば、転落することも起こる。その停滞や転 落の原因となったとかれらが考える者に対する怒りが生じる。政党は国民の意思を代表し ていないと見られているために、かれらは怒りの解決を政党に求めることをしない。現実 に政党や国会議員は、国民の声を政治に反映させることよりも、政治プラグマティズムの 実践にのめり込んでいる。 インドネシアで行われているデモクラシーは、今や資本主義的プラグマティックなエリー トを次々に作り出していく、資金を持つ一部政治エリートを利しているだけであり、国民 は既にそのデモクラシーを見放している、とアブドゥル・ムッティ、ムハマディヤ中央執 行部事務局長は語る。[ 続く ]