「スラバヤ・スー(57)」(2017年03月14日)

オーストラリアの全土からタントリ宛てに手紙が毎日届いた。その多くは返事を求めてい
た。中にはタントリを辱めにやってきたオランダ人のように、タントリに攻撃的な手紙も
あったが、多くはタントリの気持ちを明るくしてくれるものだった。

シドニーにインドネシア情報センターを開いて、インドネシアに関するさまざまな活動の
拠点にしてはどうか、という提案。ビジネスマンの中には、インドネシアの物産の輸入を
したいから、相談に乗ってもらえないだろうか、という要請。タントリがパスポートを持
っていないことを気の毒に思い、わたしと結婚してオーストラリア国籍を取得すれば、そ
の問題は解決する、と提案して来る男性もあった。

そんな中に、シドニーのアメリカ領事館からの手紙があった。タントリが待ちわびていた
知らせがそこに書かれていた。ワシントンの米国外務省は領事に対してミュリエル・スチ
ュアート・ウォーカーにパスポートを交付するよう指示したという知らせだ。タントリは
小躍りした。


ところが、アメリカ領事館で領事が語った話はタントリの期待に沿わないものだった。そ
のパスポートはオーストラリアからアメリカに帰国するためにのみ使えるものだったので
ある。

「シドニーからサンフランシスコ行きの船に乗ればよい。」と領事は言った。
「そんなわけに行きません。わたしはシンガポールに戻ることにしており、戻りの船便の
チケットを持っているのです。資金も残り少なくなっているから、アメリカ行きのチケッ
トをここで買うには足りません。いずれにせよ、シンガポールに戻ってからアメリカへ帰
ります。」
「バリにホテルを持ち、スラバヤに家を持っているし、おまけにオーストラリアでもイン
ドネシア医療支援アピール財団でたくさんの寄付金を集めているというあなたに金がない
なんて、理解に苦しみます。」

バリのホテルは日本軍に破壊しつくされ、スラバヤの家はスラバヤの戦闘で破壊され、イ
ンドネシア医療支援アピール財団に集まった金はすべて医療支援に使われており、自分個
人は1セントも使っていないことを、タントリはまた説明しなければならなかった。

自分が築いてきた財産はすべてあの戦争とインドネシア独立革命が灰にしてしまった。そ
の弁償をアメリカが、日本が、インドネシアがしてくれるわけがあるまい。自分がしてき
たことはすべて奉仕だったのだ。財を築き上げることよりもっと素晴らしいものを自分の
人生の軌跡は描いてきたのだ。タントリはそう言いたかったにちがいない。


最終的に領事はタントリがシンガポールに戻ることに同意し、ワシントンから指示されて
いるパスポート交付はシンガポールのアメリカ領事館が行うように手配してくれることに
なった。

実は、シンガポールに戻るとは言うものの、またパスポートなしの入国ということになる。
シンガポールのイギリス行政官がそう何度も甘い顔を見せてくれるかどうか、それはわか
らない。タントリはシドニーのアメリカ領事に一筆添え状を書いてもらえないだろうかと
頼んだが、領事は拒否した。[ 続く ]