「スラバヤ・スー(終)」(2017年03月16日)

船は西に向かい、大西洋を越えるときは連日の嵐だったため、12月中旬だったボストン
到着予定はクリスマスイブの日になった。おまけに船が埠頭に着いたのは夕方で、入国手
続きを終えたときは夜になっていた。

そこに集まっていたひとびとはすべて去り、タントリはひとりぼっちになった。ポーター
もタクシーも見当たらない。公衆電話を探して、タクシーを呼んだ。ボストン鉄道駅まで
3ドル。手持ちの金は2ドルしか残らない。

駅の待合室に座って、どうしようか考える。ボストンに知り合いはいない。いやアメリカ
全土にだって、いま助けを求めることのできるひとはいないかもしれない。永かった空白
はアメリカにあったかの女の足場を消滅させていた。

インドネシア共和国がニューヨークに設けたレップオフィスに行けば、多分仕事がもらえ
るだろう。ボストンからニューヨークへの旅費も相談できるかもしれない。だが今はもう
夜で、明日はクリスマスの休日だ。オフィスに電話しても、誰もいないに決まっている。


駅の切符売場窓口の向こうに座っている係員の姿を視野に入れながら、タントリは1ドル
紙幣2枚をもてあそんでいた。突然、誰かの手がタントリの肩をそっと叩いた。
「失礼ですが、あなたはスラバヤ・スーじゃありませんか?」

タントリが慌てて声のほうを振り向くと、身なりの良い華人青年がひとり立っていた。
「あなたと同じ船で来たんです。あなたの話をいろいろ読みました。ニューヨークへ行く
んですか?」

タントリの胸の奥にうれしさがこみあげて来た。自分に関心を持ってくれるひとがまだい
たのだ。タントリは切符を買う金が今ないことを話した。クリスマス休暇が明けてから金
策をしてニューヨークへ行くつもりだ、と。
「じゃあ、ぼくに払わせてください。アメリカははじめてで知り合いもいないし、ひとり
ぼっちだったから、連れがある方がありがたいんです。」
「そうね。アジア人は団結しなきゃ。」

ふたりの乗った列車はグランドセントラル駅にすべりこんだ。時間は夜半を過ぎている。
ふたりは駅近くのホテルに向かった。ところが満室だと言われた。別のホテルでも、部屋
はない、と言う。タントリは怪しんだ。華人青年が尋ねたからではないだろうか?タント
リが尋ねると、すぐに二部屋用意してくれた。


翌日、ふたりはニューヨーク見物に回った。5番街、ブロードウエー、ビレッジ、エンパ
イアステートビル、国連本部ビル。青年は大いに楽しんだ。かれひとりだと、それほど効
率よくは回れないだろう。

クリスマスの二日目、金の工面ができたタントリはボストンからニューヨークまでの鉄道
切符代を青年に返し、さらに大学で使うように手ごろなサイズのバッグを買って、青年へ
のクリスマスプレゼントにした。その夜、青年は留学先のインディアナへ行くので、タン
トリはかれを駅まで送った。


明日から、ニューヨークでの暮らしが始まる。永年熱帯で暮らした身体にこの寒さはきつ
いが、ここでまた新たな人生の転換に励まなければならない。明日からスラバヤ・スーは、
そしてクトゥッ・タントリは、かの女が時おり胸に着ける名札になるだけだ。ここでの新
たな人生は、それらの名前ではもう描けないものになるのだから。その新たな人生への希
望を抱いてタントリは、いやミュリエルは眠りに落ちた。[ 完 ]