「太陰暦と太陽暦は互角か?(2)」(2017年04月05日)

続いて人類は、「年」という時間のサイクルをやはり太陽の動きから見つけ出したのでは
ないだろうか?

それは「日」というサイクルの次に見つけ出されたものではないかという想像がわたしの
ものだ。太陽の動きは毎日頭上を東から西に移動するわけだが、永い日数の間にどんどん
南に傾き、限界に達するとまた頭上に戻ってきてから、今度は北に傾いていく。それが限
界に達すると再び頭上に戻って来る、という南北方向の振れが伴われている。そしてその
振れが一サイクル経過する間に、暑さ寒さ・多雨少雨・風向や風の強弱・更に高緯度地方
では日照時間の長短などという自然現象が、ある一定の傾向を持って出現する。つまりそ
ういう特徴を持つ季節が太陽の振れのサイクルに伴って移り変わるということだ。それが
地球の太陽公転周期である365.2425日に関連する具象例である。

その季節的な変動が気の遠くなるような「日」数で循環していることを悟った古代人は、
その大自然の脅威と恩恵をいかに自分たちの生存に役立てるべく利用するかということを
考えたはずだ。後に「年」と呼ばれるようになった時間の単位に関して、自然界に見られ
る手がかりにどのような兆しが見られたら気象や天候がどのようになって行くのかという
ことがかれらのサバイバルのための努力にもたらした影響は数えきれないにちがいない。


現在、太陽暦と呼ばれているものの基礎になった概念がそれなのではあるまいか?だから
太陽の動きの観測から見つけ出された暦というのは、本来が人間の生存にとっての指針と
して生じて来たというのがその第一義だろうという気がわたしにはするのである。

人間の生存にとって厳しい季節。人間が生存のための活動を行うのに難しい季節。そうい
う季節がいつやってくるのか?そしてそれを乗り越えるためにどうするのか?太陽の動き
に関連付けて記憶された季節の特徴が、共同生活する人間集団のサバイバルにとっての指
針となったことだろう。よく言われる農耕や牧畜あるいは狩猟・採集という生存のための
生産活動に関わる部分が第一義的なものなのではなく、それらを含んだ生存のためのあり
とあらゆる活動が本源的なものなのではなかったのだろうか?


「日」と「年」というふたつの「とき」の単位が太陽との関連性で設けられたことを前提
にするなら、世間一般に言われている太陽暦および太陰太陽暦というその変種と太陰暦と
いうふたつの大きな特徴を持つ暦法を対等のウエイトで対立しているものと位置付けてい
る姿勢が、わたしには適切さに欠ける扱いではないかというように思えてくる。[ 続く ]