「サイレントマジョリティ(後)」(2017年04月05日)

マジョリティ層の沈黙姿勢は数多くのネガティブな影響を生み出す。たとえばコルプシが
社会の病弊となって大きい深刻な問題のひとつになるのを放置している。一般国民は何十
年もの間、ただ黙ってコルプシが行政の最下層からトップレベルに至るまで旺盛に繁茂す
るのを見守り、自分が餌食になるのさえほったらかしてきた。

反対の声を鳴り響かせようとせず、国民マジョリティは黙ってそれを容認し、あるいは祝
福さえ与えることを選択している。その結果コルプシは抑制できない強固な文化のように
なってしまった。宗教生活の中にも悪影響を見出すことができる。インドネシアのマジョ
リティ住民をなしているムスリム層は、寛容でオープンな信仰者だったことを、歴史や経
験が証明している。

ところが過去二十年ほどの間に起こったさまざまな展開から、一部国民の間で宗教的な不
寛容姿勢が強まっていることが観察されている。不寛容姿勢は同一宗教内ばかりか、異宗
教間をも乖離させている。

この危険な状況に対してマジョリティムスリム層、特に主流派リーダー層は、沈黙するこ
とのほうが多い。言葉が発されることがあっても、その調子は事態の悪化を防ごうとする
警告としての力強さや厳格さが不足している。問題なのは、沈黙を破ることを困難にして
いるトラブルや障害をサイレントマジョリティが抱えているためである。こうしてかれら
は流れに浮沈する気泡になっているのだ。

マジョリティを沈黙に駆るファクターは少なくない。一般的にマジョリティ国民は日常生
活の諸用に多忙であり、自己存在の主になる機会は多くない。

加えて、大多数国民のほとんどは政治オリエンテッドでなく、国家イデオロギーの政治活
動家でもない。イデオロギーや国家政治宗教イデオロギーの活動に関する理解も深くない
だろうし、もし理解しているのであれば、土着的民族政治の現実に対しては、沈黙を守る
ほうがより快適であるにちがいない。

一方、多数派政治リーダーエリートたちの環境では、沈黙姿勢は支持階層に対するプラグ
マチックな配慮に基づいている。それどころか、かれらの中にはインドネシア民族国家四
基本原理に即していない政治宗教コンセプトやその活動に味方し、祝福する者さえいる。
社会・文化・宗教分野でも、リーダーたちの間に同じ傾向が存在する。宗教分野では特に、
強大主流派大衆組織のリーダーたちは所属組織や機関のルーチン運営にかかり切りになる
傾向が見られる。

集合的仲間的な大衆組織のリーダーたちはしばしば、不寛容で戦闘的なマイノリティが起
こす社会・政治・宗教上の変動や拡大に対してトップリーダーが妥当で適切な反応を下す
ことを困難にする。

そのような状況において、シビルソサエティの組織やグループはたいへん重要な存在とな
る。インドネシアは、法律・デモクラシー・ジェンダー・基本的人権・平和・寛容などの
諸分野で活動するシビルソサエティの組織・グループ・機関が豊富だ。民間大衆組織は今
後一層、沈黙するマジョリティを突き動かす動力源のひとつとしてその役割を強化してい
くべきである。[ 完 ]