「太陰暦と太陽暦は互角か?(3)」(2017年04月07日)

というのは、一年という「とき」のサイクルは気の遠くなるような日数から成っていて、
無味乾燥な日数の積み上げを一年ということにするのを、人類は嫌ったように思えるから
だ。年と日の間に中間的な別の単位を設けることで、季節の推移との関連付けが容易にな
るし、また生活感覚の上でもその推移への認識がはるかに鋭敏になるという効果がそこに
明らかに存在しているようにわたしには思われる。古代人もきっとそう感じたのではある
まいか?

だから、月(ムーン)の満ち欠けがもっと短いサイクルで起こっていることをかれらがそ
こに利用しなかったはずがあるまい。こうして、月(マンス)という単位を一年の間に何
回か繰り返すことで一年にするという[ 日⇒月⇒年 ]という暦サイクルにおける「とき」
の単位が定められたのではないかというのがわたしの推論である。

言い換えれば、マンスというのは中程度の期間を表わす単位としての役割を持たされてい
るだけであって、単に日数を数えるために設けられたのがその主目的だったのではないの
かということなのだ。

太陽の動きが発生させている気候の変動や気象の変化、つまり人間の生活に直接関わって
来る脅威や恩恵に対する把握と認識ということがらを、果たして月の満ち欠けから捉える
ことがあるのかという疑問がそれなのである。

もしも月の満ち欠けが、暑さ寒さ・多雨少雨・風向や風の強弱・更に高緯度地方では日照
時間の長短などという自然現象の出現傾向との関連性を持っていないのであれば、人間は
いったい何のためにムーンを規準にする「とき」の測定を行ったのだろうか?太陰暦とい
うもののウエイトの軽さをわたしはそこに感じるのである。

結局は、太陽を基準に採った「とき」の測定の内容を人間がより親しめるものにするため
に、日と年の間を埋めることのできる、単に日数を数えるための中カテゴリー概念をムー
ンで測定するマンスという単位にしたという推論は間違っているのだろうか?わたしには、
太陰太陽暦というものの本質がそこにあるのではないかという気さえするのである。

年という永さをあくまでも太陽基準のものにするのであれば、日数を数えるための単位と
して用いられる中カテゴリーのマンスという単位は月の満ち欠けと直接の関連性を持たせ
ようが持たせまいが、その機能と位置付けには影響が生じない。更に端数の解決をどのよ
うにするのかといった問題もテクニカル一辺倒のものとして処理が可能になる。

だからこの種のアイデアに対して、あたかも太陽暦と太陰暦を折衷させたような名称が付
けられていること自体に、わたしはその視点に不審を禁じ得ないのである。[ 続く ]