「太陰暦と太陽暦は互角か?(5)」(2017年04月11日) 太陽の動きが作り出す自然界の変化を暦法内の○○月と関連付ける考え方はシンプルであ り、誰にもわかりやすい。太陽暦が持つ最大のメリットがきっとそれだろう。太陰暦の一 年とそれを構成する○○月は、自然界の変化を固定的に関連付けることを許さない。つま り太陰暦というのは、自然界がもたらす脅威や恩恵と「とき」を測定するツールとしての [ 月⇒年 ]の固定的な関連付けを拒否しているということになる。 だから、太陰暦を使う社会の民衆は、暦をサバイバルのための暮らしの営みのための手引 きとして使わず、移り変わる季節変動を自然界の中に出現してくる兆しによって予知予見 して生きているということのようだ。ならば、ヒジュラ暦というのは一体何のために存在 しているのだろうか? ヒジュラ暦が定めている祝祭日はすべてが宗教祝祭に関わるものだ。そして国によっては、 建国記念日のような国家行事が国民の祝祭日の中に散見される。ところが面白いことに、 建国記念日や春の到来を祝う祭りなどはヒジュラ暦による表示でなくてグレゴリアンカレ ンダーが使われているという二重構造になっているのである。 そんな事実を見るかぎりでは、太陰暦の代表者たるヒジュラ暦は完全に宗教のためのもの でしかなく、人間の暮らしの営みに関連して毎年繰り返される祝祭はやはり太陽暦が参照 されていると言うことができそうだ。 ヒジュラ暦での一日の開始時間というのは、新しいマンスの始まりと同期している。つま りムーンが一度欠けきってから、新ムーンが日没時に目視されたときが新マンスの開始で あり、そのとき同時に新マンスのついたちが始まるのである。つまり日没を過ぎてから新 ムーンが目視できても、そこから次の日没時までの一周期はまだ当月のままとなる。こう なれば、次の日没時にムーンが現れるのは確実だから、翌夕方にまた目視観測して確認す るようなことはせず、自動的に翌月ついたちがそのおよそ24時間前に確定するというこ とだ。 一日は夕方から始まるというこの定理はヘブライ暦もそうだし、カソリック典礼暦も同じ だ。だが、一日という「とき」のサイクルを決めるにあたって、月の出から次の月の出と いう基準が果たして用いられたのだろうか?そこに上述したような問題が存在するのは明 らかであり、考えられるのは日没から次の日没という「とき」の永さが一日を測定する基 準に使われたのではないかということだ。ムーンはマンスという「とき」の開始を決める 兆候として用いられているだけであり、日に関してはあくまでも太陽が使われていると見 るのが妥当なようにわたしには思われる。 太陰暦と呼ばれて太陽暦と互角に対立しているものの代表格であるヒジュラ暦さえもが、 暦の最小基本単位である日という単位に太陽を用いていることを思えば、互角というウエ イト付けに疑問が生じるのも無理ないことではあるまいか?[ 続く ]