「プリブミ(後)」(2017年04月20日)

Fというのはオーストロアシア型を意味し、2万〜6千年前の最後の氷河期にヌサンタラ
の地へ何波にも分かれて移住した。当時、ヌサンタラの西部(ジャワ・スマトラ・カリマ
ンタン)はアジア大陸とひとつになっていた。5千年程前に台湾からヌサンタラの地へや
ってきたオーストロネシア語族よりも、かれらははるか以前にやってきていたのだ。その
移住ということを単一方向に限って考えてはいけない。双方向での移動が起こった可能性
はきわめて高いのだから。

Fの後のlalaは祖先が最終地まで移動する際に仮住したことで起った遺伝子の変異を示し
ている。その文字と数字が長ければ長いほど、中国南部から出てジャワに到達するまでに
立ち寄って来た場所の多さがわかる。

母系の血統から見ると、わたしは少なくとも中国南部の子孫であると言える。もっとおし
進めて行けば、わたしはアフリカ人を祖先に持っていることを遺伝子が物語っているので
ある。

集団遺伝学の種々の遺伝子分析によれば、あらゆる現代人、つまりホモ・サピエンスは祖
先がアフリカから出て移住したものであることを物語っている。それは12万〜6万年前
までの間に、波状的に世界のあらゆる地域に移動して行った。その一部は5万年前にパプ
アにまで到達している。

この遺伝子学の成果を背景にするなら、先週の大規模デモが叫んでいたような、わたしが
プリブミと呼ばれることは妥当なのだろうか?KBBI(インドネシア語大辞典)はプリ
ブミを次のように定義付けている。
「元々の住民、由緒をその土地に持つ者」

何世代にも渡ってインドネシアに続いた家系でわたしが生れたのは明らかであり、それど
ころかわたしの先祖はこの共和国が形成される以前からジャワに定住していた。その根拠
に従って、わたしが自らをプリブミと主張してよいのだろうか?オランダ人に「インラン
ダー」と馬鹿にされて犬なみに扱われたあの「プリブミ」に。植民地時代には、あちこち
に掲げられた看板にこう記載されていたものだ。「Vervoden voor honden en inlanders.」
つまり、「インランダーと犬は立ち入り禁止」。

しかし、たとえわたしがプリブミだったとしても、わたしはオランアスリ(orang asli)で
はないのである。70〜100万年前にジャワに棲息していたと考えられている直立猿人
つまりジャワ原人のような旧人類を除いて、インドネシアに真の意味のアスリはいない。
最近はフローレス島に10〜6万年前に棲息していたと思われるホモ・フロレシエンシス
が発見されているが、かれらもどこからかやってきてそこに住み着いた可能性は十分にあ
る。

オランダ植民地主義が差別のために作り上げたプリブミとノンプリブミのディコトミーで
争い合うよりも、この国にとってのもっと大きな問題を考える方が良いのではないだろう
か?社会格差や災害多発を促している環境破壊のような問題を。[ 完 ]