「ドゥマッ旅行(前)」(2017年04月25日) インドネシアのイスラム化の震源地となったと言われている中部ジャワ州ドゥマッ(Demak) の町。歴史の中に赫赫たる高名を謳われているとは思えないような、静かな町だ。 だがムスリムなら、一度は史跡をたどって往時の宣教の歴史に触れてみたい町でもある。 コンパス紙記者が2016年5月に果たした一泊二日の旅行記がこれだ。 [ 木曜日午前9時 ] マジャパヒッ王国滅亡のストーリーに必ず登場するドゥマッ大モスク(Masjid Agung Demak)は、町の中心部をなす広場(アルナルン alun-alun)に面して建っている。ドゥ マッスルタン国創設者のラデン・パタが15世紀に建てたとされているこの大モスクを訪 れるひとは多い。モスクの一円にはドゥマッスルタン国の王たちの墓があり、その参詣に 訪れるひとの波はひきも切らない。 1466年に完成したモスクの構造は、イスラム思想を存分に反映している。イスラム教 義の四つの流派を象徴する四本の大黒柱のひとつは、ワリソゴ(wali songo =九聖人)の ひとりスナン・カリジャガの手になると言われている。 三層のピラミッド型屋根は教義実践における信仰・イスラム・善行の三要素を示しており、 屋根の頂上部は最高の栄光と地位を持つアッラースブハナフワタアラの力を意味している。 [ 10時半 ] 大モスクの建物群の中に博物館がある。このドゥマッ大モスク博物館(Museum Masjid Demak)はモスクが歴史の中でたどった変遷が残した遺物を保存している。ワリソゴ時代の 太鼓や木鼓、屋根葺きの薄板、割れた大黒柱、チャンパの姫から贈られた明代の水がめな どや、現在の姿になる前の大モスクの写真、照明器具、ガラスやクリスタルの調度品など だ。1845〜1864年のモスクの姿を伝える模型、サカ歴1344年の年号が見られ る木製の碑、1923〜1936年に使われたシャンデリア、そして有名なキ・アグン・ セロが作った稲妻の木製扉。さまざまなモチーフが浮き彫りにされた木製扉には竜頭が見 られる。それはキ・アグン・セロが捕まえた稲妻だとされている。 [ 11時半 ] 大モスクの構内を歩き回ったあとは昼食だ。あまり離れていないスルタンパタ(Sultan Patah)通りにある食堂「ラハユ(Rahayu)」を訪れる。ここはドゥマッの町では由緒のある 店だ。屋号の「ラハユ」は店主のスリ・ラハユさんの名を採ったもので、かの女は196 5年にチャイナタウンに食堂を開いた。スルタンパタ通りの店は1990年にオープンし た。店の経営は子息のバンバンさんが行っている。 お薦めメニューは爽やかな酸味と柔らかい牛肉を売り物にするアスムアスムダギン(asem- asem daging)や酸味と鶏肉を楽しめるガランアスム(garang asem)。酸味はタマリンドと 野菜ブリンビンから引き出したもので、牛肉やアヤムカンプンとの一体感がたまらない。 湯気の立つ白飯とこのおかずでの昼食は、ドゥマッで絶対に逃せないもののひとつだろう。 [ 続く ]