「ドゥマッ旅行(後)」(2017年04月26日) [ 14時 ] ルバナ(rebana)とブドゥッ(beduk)というイスラムの伝統楽器制作工房をジャティムリヨ (Jatimulyo)地区に訪れた。働いているのはサントリが多い。そこで作られた製品はカデ ィラグ(Kadilangu)で売られている。だが他の地方へ送られる製品もたくさんで、一番多 い送り先はカリマンタンだそうだ。トルコから注文が入ることもある。 ルバナに使われる樹種はマンゴの木やトルンブシの木だが、木鼓にはナンカの木が絶対だ と製作者は語る。堅いナンカの木は音が良く響くのだそうだ。 ここではそれらの打楽器だけでなく、アラブ音楽ガンブス用のギターも作られている。 [ 15時 ] そこからカディラグ地区に向かうのは、ルバナやブドゥッを買いに行くためではない。9 聖人のひとり、スナン・カリジャガの墓所がその地区にあるのだ。その参詣は一部の人に とって、格別な精神体験となるにちがいない。 イスラムの大ウラマとなったスナン・カリジャガは元々ラデン・サイッという名の貴族の ひとりであり、当時の社会が信仰していたヒンドゥ教と仏教を通じて民衆を指導する立場 にあった。かれはイスラム宣教の道に入ってからも、いかに民衆により善きものを与える かという姿勢を崩さなかったから、新しいイスラム教を普及させるために古いヒンドゥ教 や仏教を対立的に扱って排除しようとせず、古い革袋に新らしい酒を注ぐような形で融合 性を持たせることに努め、寛容性と平和をイスラム宣教の基盤に位置付けた。 イスラム宣教にヒンドゥ文化で使われてきたガムランやワヤン、昔からある民衆の俗謡を 使うようなことを、他の宣教者のだれが考えついただろうか? その思想がインドネシアのイスラムに高い抱擁力と融合的で柔軟な伝統を与えたのである。 そのことを理解しているムスリム民衆は全国各地から絶えることなくスナン・カリジャガ の墓所へ続々と参詣に訪れている。 参詣を終えてから、われわれは日暮れの迫るドゥマッの町中を探索して回り、宿を見つけ て泊まった。 [ 水曜日午前9時 ] 昨日は宗教まみれの観光だったから、今日はドゥマッの別の姿を見に行くことにする。ド ゥマッの海岸地区にあるマングローブ林へ。 サユン郡(Kecamatan Sayung)ブドノ町(Kelurahan Bedono)の漁村から船でおよそ1時間航 海すると、海岸をマングローブ林が覆っている場所に着く。 昔、ここは住民の居住地区だった。ところがジャワ島北岸部で続いている地盤沈降と海蝕 のために、ひとびとはこの場所から追われてしまったのだ。15年くらい前にドゥマッ県 庁と生活環境省が日本のNPOの協力を得てここをマングローブ林に変えた。マングロー ブ林に棲息する海の生き物や鳥を、われわれはそこで目にすることができる。 [ 13時 ] バティック産業が全国的に興隆している中で、昔独自のデザインで名を馳せたドゥマッ産 バティックも復興の道を歩み始めた。まだ市場にそれほど出回っていないドゥマッ産バテ ィックが、お土産にはよいだろう。 マグンジワン(Mangunjiwan)町のカランムラティ(Karangmlati)地区でドウィさんとスリさ んが指導している地元民のバティック工房にお邪魔する。 ドゥマッ産バティックで有名なモチーフは魚の鱗だが、新しいモチーフもどんどん生み出 されている。大モスクにある稲妻の木製扉すら、その新たなモチーフ創作へのヒントにな っているのだ。 こうしてバティック工房の見学と土産物購入を終えた記者たちは、ジャカルタへの帰路に 着いたのだった。[ 完 ]