「マカッサル船団はマレゲを目指す(7)」(2017年05月10日) マカッサンはムスリムなのであり、つまりはオーストラリア大陸にイスラムが足を踏み入 れる最初となったわけだが、マカッサンは決まった時間に行う独特の儀式をアボリジニが 見ている前で行っても、アボリジニに対してその儀式への参加を強要することもなかった。 物好きなアボリジニが見様見真似でそれをやって見せたからといって、礼拝の集団の中に かれを引きずり込むようなことはしなかったのだ。アボリジニにとっては多分、生れては じめて目にする宗教儀式がそれだったにちがいない。 反対に、アボリジニたちの中にマカッサンの優れた文明に従おうとする者が出るようにな る。イスラム教徒の義務の中には割礼がある。オーストラリア北部地方に住むアボリジニ の中に、割礼の慣習を持つ部族が存在していることが報告されている。 褐色で精悍な小柄の男たちが大勢船でやってきて、風の替わる時期まで滞在するようにな ったころ、意志疎通の不充分な両者の間には頻繁に喧嘩が起こった。 何を考えているのかわからないヨソモノが近くに居座れば、敵意が生れるのは当たり前だ。 しかしこのヨソモノたちは、自分たちの暮らしを乱しにきたのでなく、いろいろ変わった 珍しい品物を持ってきて自分たちのものと交換しようとするだけであり、何も奪わず、何 も強制しない、ということがはっきりと理解されたとき、アボリジニとマカッサンの間に 友情と信頼が育ち始めた。 アボリジニはナマコを食べないから、マカッサンが大量のナマコを海からかき集めても、 アボリジニはまるで困らない。おまけにかれらが自分で集めたナマコの代償として、バー ター品をくれるのである。捨てていた亀甲でもそうだったし、近辺に勝手に生えている木 材でもそうだ。 マカッサンが持って来た品物の中には、タマリンドの木やガラス瓶や金属製の品物などが あり、それらの遺物はまだ残されている。ランタカと呼ばれる手筒(大口径手持ち銃)は マカッサルから運ばれて来たものであることが証明されている。 他にもバーター品としてマカッサンが持って来たものは、衣類・タバコ・ナイフ・コメ・ アルコール・ナマコや他の海産物等々だった。 ゴーヴという名称になる前のアーンヘムランドに住むアボリジニのヨルグ族はマカッサン がもたらす品物で経済力をつけ、豊かな暮らしを享受できるようになる。[ 続く ]