「マカッサル船団はマレゲを目指す(8)」(2017年05月11日)

より優れた文明をもたらしてくれるマカッサンとヨルグの関係は年を追って深まり、異種
族間の結婚さえ行われた。

ヨルグはマカッサルでレパレパと呼ばれる丸木舟(アボリジニはリバリバと呼ぶ)に乗り、
銛を使って海で魚を獲る。マカッサルでも同じものが同じように使われているのだ。知識
と技術が伝授された一例だと見て、まちがいあるまい。

アボリジニが持っていなかった習慣のひとつとして、死者の葬礼に帆柱を立てるというも
のがある。これはマカッサル船団が帰国して行くとき、フィニシ船に帆柱を立てた振る舞
いをアボリジニが取り入れたものだとされている。去って行く者への礼という点に共通性
を感じたにちがいない。


アボリジニは文字を持っておらず、歴史は口伝で親から子に語り伝えられた。善良なマカ
ッサンがやってきて、さまざまなものごとが伝えられた。その驚きをアボリジニは民話の
中に伝承させ、さらには巨石に描き、言葉を吸収し、歌や踊りにも反映させた。

マカッサンは1907年を最後にして、やってこなくなった。しかしそれからおよそ百年
が経過した今でも、オーストラリア北部に住むアボリジニの間では、マカッサンがやって
くる話が語り継がれている。

そのテーマを織り込んで作られた歌や踊りも継承され、更には現代ポップソングまで作ら
れるというありさまだ。1990年代にノーザンテリトリーのアーンヘムランドで人気を
高めたアボリジニのバンドがある。このバンドの自作曲の中に「レンバナ マニマニ」と
いうタイトルの曲があった。マカッサンはアーンヘムランドに居住するアボリジニの部族
をマニンリダと呼んだのだ。その曲はマニンリダを歌っているのである。


アボリジニの言葉の中に、マカッサンが伝えたものと見られる単語がおよそ5百見つかっ
ている。たとえば白人のことを北オーストラリアのアボリジニは「バランダ balanda」呼
ぶが、それはbelandaに由来する単語なのであり、また貨幣のことは「ルピア rupiah」と
呼ばれている。

カーペンタリア湾のフロートエイラントに住むワニンディルジョグワ族が使うエニンディ
ルジョグワ語の中には、次のような単語が見つかっている。
ajira   ムラユ語のair
Balanda  ムラユ語のBelanda
bara  ムラユ語のbarat
bula  ムラユ語のbuluh
jara  ムラユ語のjara
jama ムラユ語のkerja
umbakumba  ムラユ語のombak-ombak
libaliba  マカッサル語・ブギス語のlepa-lepa
[ 続く ]