「デモクラシートラップ(前)」(2017年05月17日)

ライター: シャリフヒダヤトゥラ国立イスラム大学文明人文学部教授、インドネシア科
学アカデミー会員、アジュマルディ・アズラ
ソース: 2017年5月9日付けコンパス紙 "Jebakan Demokrasi"

高い緊張に満たされた4月19日のジャカルタ首都特別区首長選挙も、最終的には平和裏
に終了した。現職候補者のバスキ・「アホッ」・チャハヤ・プルナマは挑戦者アニス・バ
スウェダンに地滑り的大差で敗退した。振り返って見るなら、今回の都知事選はいくつか
の注目すべき現象を映し出している。それらの現象はある限度内で、他地域の2018年
首長選挙や、更には2019年の大統領選挙にも影響を落とさないはずがない。

アニス・バスウェダンとサンディアガ・ウノ組の支持者の中に、その勝利はイスラムポピ
ュリズム優位の第一ステップをなすものだと見ている者がいる。この階層は、2016年
米国大統領選でドナルド・トランプのポピュリズムがヒラリー・クリントンを敗退させた
のなら、ムスリム人口がマジョリティを占めるインドネシアのイスラムポピュリズムが負
けるわけがない、と考えている。


ジャカルタ都知事選をインジケータにするのであれば、各地での2018年首長選挙や2
019年の大統領選挙にもイスラムポピュリズムを当てはめるのは可能なのだろうか?そ
の可能性はどれほどのものなのだろうか?その問題に答えるためには、デモクラシートラ
ップに関するデモクラシー専門家やオブザーバーたちの理論に先に触れる必要がある。デ
モクラシートラップ理論は、いくつかの国を襲った複数のデモクラシー化の波に伴って発
展したものだ。

デモクラシー化の波は少なく見積もっても三回起こっている、とハンチントンは1991
年に書いた。最初は19世紀初頭から1920年代までの間に起ったもので、西ヨーロッ
パのいくつかの国が専制主義からデモクラシーへ移行したときだ。その次は第二次世界大
戦が終了したときで、新興独立国が続々とデモクラシー国家として誕生した。しかしそれ
らの国は1950年代に軍人あるいは文民の独裁体制に陥っている。

第三の波は1970年代にはじまり、1990年代を通過してから現在まで続いている。
この第三次デモクラシー化の波はそれ以前のふたつの波に比べて、はるかに複雑だ。その
現象は、経済・社会文化・情報の自由化あるいはグローバリゼーションが宗教の勃興と共
に高まって来た事実に関連している。


その発展の中で、デモクラシー化の波は矛盾する現象を生み出した。一方では政治面での
盛んな自由化やデモクラシーが継続するのと反対に、他方ではそれと同時に、1990年
代にバルカン半島で起こったような種族や宗教といったプライモーディアル感情を高揚さ
せたのである。

デモクラシートラップ理論の論拠はそこにある。その理論は基本的に、デモクラシー化の
波とその受容はマジョリティ種族や宗教グループがデモクラシーを使って自分たちの利益
や目的を実現させるためのチャンスを与えたに過ぎない、と考えているのである。

デモクラシートラップ理論はインドネシアにも影を落としている。競争型自由民主主義が
1999年の国会議員選挙に取り入れらて以来、2004年・2009年・2014年の
国会議員と大統領を選ぶ総選挙では、インドネシアでもデモクラシートラップが回を数え
るごとに強まっていると見なす一群のオブザーバーがいるのだ。[ 続く ]