「パラダイム」(2017年05月24日)

ライター: 国語学者、著述家、サロモ・シマヌンカリッ
ソース: 2002年10月19日付けコンパス紙 "Paradigma sebagai Sumbangan Pusat
Bahasa"

その名が明白に示しているように、インドネシア語の育成と開発を使命とする国語センタ
ーがわれわれの言葉の発展に捧げてくれた賜物を、この国語月間に語るのはふさわしいこ
とだろう。

引き金になったのはその国語センターを統率したことのある文司・教授アントン・M・ム
リヨノ博士が去る9月に南ジャカルタ市ワルンブンチッ地区で催された全ジャカルタとバ
ンドンの新聞・雑誌・テレビ・出版者から成る国語チームの月例会で発した表明だ。

黒板に派生語の形成プロセスを示しながらアントンはこう述べた。「DM法則がスタン・
タッディル・アリシャバナの賜物であるなら、国語センターが文法にもたらした賜物はパ
ラダイムである。」

DM法則というのは、国民学校や小学校の卒業証書を持っている者ならだれでも理解して
いるはずのことがらで、二つ以上の名詞が並べられた時の個々の関係(たとえば buku 
Sejarah Kebudayaan Indonesia)や名詞と形容詞が並んだ時の関係(たとえば mobil 
mewah)についての法則を言っている。すなわち、どの単語が説明される(Diterangkan)語
(つまり被修飾語)であり、どちらが説明する(Menerangkan)語(つまり修飾語)である
のかということだ。

ならば、アントンが名付けたパラダイムとはいったい何なのか?

あの高名なマサチューセッツ工大で生前、科学史を教えていた科学者で、パラダイムシフ
トという言葉を紹介したトーマス・クーンを探しに行かなくともよい。というのも、アン
トンは科学を解析しているのでなく、次のような派生語の形成プロセススキームを黒板に
書いたばかりなのだから。

pimpin > memimpin > pemimpin > kepemimpinan
sesuai > kesesuaian > penyesuaian > persesuaan

「わたしがパラダイムと言っているのはこれのことだ。」とかれは述べた。


ここで言うパラダイムとは、インドネシア語大辞典第三版828ページにある語学的コン
テキストにおけるもので、ある単語のすべての活用や語形変化を示す全派生語リストを意
味しているようだ。

アントンの解説は、pimpinanとpemimpinを同義語にしてしまっているたくさんのインドネ
シア語使用者に心穏やかでない月例会参加者の質問に端を発している。国語センターがも
たらしたパラダイムでは、そのふたつの派生語の間には厳然たる違いが存在している。

pimpin > memimpin > pemimpin
pimpin > dipimpin > pimpinan

パラダイムはまた、インドネシア語に言語システムをもたらしてアリストテリアンにした。
言語使用者に種々の必要性の中での使用を容易にした結果、科学概念から哲学に至る応用
技術にまで使えるツールとなった。

パラダイムの名において、timbanganは重さを測るpenimbangと同義語扱いされてはならず、
langgananはorang yang berlanggananの意味でpelangganと同義語に使ってはハラムとな
るのである。


しかしアントン教授、やはり国語センターからの賜物であるインドネシア語大辞典の
tmbanganの語義のひとつにalat untuk menimbangが、そしてlanggananの語義の中には
pelangganが記載されている。一貫性はどうなっているのでしょうか?

文法にとても整然と従って発言するために話し相手に息遣いを整えさせるほどのこのイン
ドネシア大学文学部教授は、しばらく沈黙した。

「ああ、それはパサルムラユ語の残滓で、辞典の中に残されているのは50を超えない。」
とアントンは言った。「しかし、インドネシア語大辞典の次の版を出すときは、あなたか
らのインプットに注意を払いますよ。」