「ブンクルの旅(後)」(2017年06月05日) [14時] イギリス東インド会社が1713年から6年かけて構築したマルボロ要塞を訪れなければ、 ブンクルへ行ったことにならないだろう。イギリスはブンクルの町を支配したが、町の外 のエリアは地元のイスラム王国の手中にあり、イギリス軍守備隊はしばしば襲撃を受けた。 オランダ東インド会社が周辺のイスラム王国を手なずけて支配を確立していく中でイギリ スが打ち込んだこの楔は厄介者となっていたが、1824年の英蘭協約で世界各地に出来 上がっていた楔を抜く作業が行われ、ベンクーレンはオランダに譲渡された。 この総面積2.7ヘクタールの要塞はイギリスが東洋に作った最強の要塞と言われ、レン ガ作りの壁は厚さが50〜180センチもあって砲撃にびくともしない強さを誇り、また 2000年と2007年に起った大地震にもまったく無傷で耐えている。 観光客は要塞内を自由に見学することができ、また城壁の上に登って風景を遠望すること も可能。特に人気が高いのはインド洋に沈む夕日を見ることで、その時間帯になると城壁 の上は見物客で賑わう。 スカルノがブンクルに流刑されたとき、この要塞の一室でスカルノへの尋問が行われた。 スカルノ尋問部屋も一見の価値があるにちがいない。 [火曜日9時] ブンクル県もいくつかの種族が共存している土地だ。かれらがたどってきた歴史、かれら が伝えている文化、そういうブンクルの実情を知るためにはブンクル州国立博物館が最適 の訪問先になる。 花嫁花婿衣装を含む伝統衣服や一般家庭で使われた家具道具類、伝統的な武器や家屋構造。 面白いのはカガンガ文字で記された文書類。パントゥン、出来事の記録、教訓、医療方法 などがその内容だ。また織物やバティックのコレクションもある。独立後の対オランダ闘 争期に、ブンクル地域内ではインドネシア共和国紙幣が印刷された。uang merahと呼ばれ たその紙幣を印刷するのに使われた1930年アメリカ製輪転機も、保存されている。 [12時] ブンクルの町の中心部にあるモスクは、その改装に流刑中のスカルノが関わったことで有 名だ。このジャミッモスクは屋根と柱だけが変えられ、建物は元のまま残された。屋根は 三層形態のリマサンで、真ん中に隙間が設けられている。前庭は広い三角形で、信徒のた めの駐車場になっている。 モスクの内部はシンプルな構造で、壁の上部にはアルクルアンの章句が描かれている。 [15時] 夕方は自然に触れるのに妥当な時間だ。市内からあまり遠くないパンジャン海岸へ向かう。 地元民にとって、全長7キロのパンジャン海岸は人気のある行楽場所だ。水と戯れ、砂浜 で遊び、インド洋に落ちていく夕陽を眺め、海産物ワルンで腹を満たす。 インド洋の激しい波と海風が松林をなぞる。疲れたら、海産物ワルンでのんびりと飲食を。 太陽が西に傾き、空と雲が美しい色に染められるとき、このブンクルの旅は終わりを迎え た。[ 完 ]