「インドネシアラヤをもっと音楽的に」(2017年06月19日)

われわれはもう何百回あるいは何千回も国歌インドネシアラヤを耳にし、また唄ったこと
だろうか。しかしその中に、出だしから終わりまでただ大声で平坦に唄うだけ、というの
が少なからずあったにちがいない。この曲の一部分はソフトに唄うことが求められ、そし
て最後は強く唄って終わるというのが、作曲者が指示している唄い方だというのに。

インドネシアラヤの楽譜を見ると、「Hiduplah tanahku, Hiduplah neg'riku, Bangsaku, 
Rakyatku, semuanya, .....」の部分は弱く奏するピアノの記号が付けられており、「Indo-
nesia Raya, Merdeka, merdeka, Tanahku, neg'riku yang kucinta! .....」の部分には強
く奏するフォルテの記号が付けられている。

その問題について音楽家プルワチャラカ氏は、「国歌の演奏や歌唱は標準化されなければ
ならない。なぜなら、強弱の問題だけでなく、出だしの弱起を揃えるための拍子のカウン
ト、キーの高さ、テンポに至るまで、問題が続出するからだ。」とコメントする。

歌詞は第四拍目からスタートするから、指揮者はその統一をはからなければならない。そ
して1958年7月10日付け政令第44号で示されているイントロがたいていのケース
で使われていないため、第四拍目のスタートを揃えさせるのが困難になっている。「イン
トロを使えば、出だしの息を揃えるのははるかに容易になるだろうに。」とプルワチャラ
カ氏は語る。

国歌インドネシアラヤのテンポはいまだに確定されていない。「今われわれが聞いている
のはマーチ風のもののはずだが、荘厳さを高めようとしてしばしばスローテンポにされる
ことが少なくない。」

キーも時に変化している。「プロはスプラッマンが1928年10月28日に自演したの
と同じGキーを使っているが、世間一般は往々にしてFキーに下げている。声を最高音に
届かせるようにするために。」


インドネシアラヤは作曲者のWRスプラッマンが青年コングレスの中でみずからバイオリ
ンを弾いて紹介した。その曲がインドネシアの歴史を形成するのに大きい役割を果たした。
それ以来88年が経過する中で、国歌としてのインドネシアラヤは1958年7月10日
付け政令第44号と「国旗・国語・国章・国歌」に関する2009年法律第24号によっ
て、法制度上の裏付けを得ている。ところが国民は、標準化された国歌を演奏し、歌い、
あるいは聴くことがいまだにできないでいる。

ただ平坦に声を張り上げて国歌を唄う時代はもう過去のものにしなければならない。歌詞
が呼び掛ける精神性を自らのものとし、インドネシアラヤを唄う自分の精神がその歌詞と
照応して偉大なるインドネシアを支える国民の役割を果たすように努めることが、現在国
家指導者が国民に対して求めていることがらなのだ。精神的照応をより深いものにするた
めに、国歌はもっと音楽的に唄われなければならないのである。