「スプラッマンのバイオリン」(2017年06月20日)

国歌インドネシアラヤ作曲者のワゲ・ルドルフ・スプラッマン(Wage Rudolf Supratman)
が1928年10月28日にバタヴィアのクラマッラヤ通り106番地にあるインドネシ
スクリュブハイス(今の青年の誓い館)で開催された第二回青年コングレスの場で自らバ
イオリンを奏でてそれを紹介し、更にコングレス閉会日にも、ふたたびかれのバイオリン
に合わせて合唱団がそれを唄った。そのときかれが奏でたバイオリンはヨーロッパの製作
者が何百年も前に作ったものだと言われている。そんなバイオリンを、オランダ植民地政
庁が過激派の烙印を捺したスプラッマンが、いったいどのようにして手に入れたのだろう
か?

かれの姉婿でオランダ人のウィレム・マウリティウス・ファン・エルディックがマカッサ
ルでそれを購入し、1914年に義弟のスプラッマンにプレゼントしたのだ。その義理の
兄弟はきっと仲が良かったのだろう。スプラッマンの姉がオランダ人と結婚したことに戸
惑う読者は、その一家の父親がオランダ植民地軍の軍曹だったことを思い出せば納得でき
るにちがいない。


そのバイオリンは17世紀にイタリアのクレモナで数々の傑作を作り出したアマティ一族
の中の名手中の名手と謳われたニコロ・アマティの作品のコピーだと見られている。19
世紀末にニコロ・アマティの傑作のコピーがドイツで多量に作られた。スプラッマンのバ
イオリンはその中のひとつではないかと推測される。

スプラッマンのバイオリンはボディの長さが36センチで幅はもっとも広い部分が20セ
ンチ、もっとも狭い部分は11センチ。側板の高さは4.1センチでボディ中心線の高さ
が6センチ。表板の素材はキプロスシーダー。側板・裏板・ネック・ヘッドはイタリアメ
ープル。テールピース・糸巻き・指板・エンドピンはアフリカンエボニー。ボディ内には
Nicolaus Amatus Fecit in Cremona 16という文字が見える。


2017年10月30日にジャカルタで催されたインドネシアラヤプロモーションの集い
で、気鋭のインドネシア人バイオリニストのシギッ・アルディティヨ・クルニアワン30
歳が、88年前にスプラッマンが行ったバイオリンソロをそのとき使われた楽器で再現し
た。インドネシアラヤを三番まで国民に唄わせるために、この種の催しは今後も続けられ
るだろう。スプラッマンのバイオリンも、今後大きな役割を担うに違いあるまい。