「asliインドネシア人(前)」(2017年06月21日) インドネシア語のasliという言葉はいろいろな意味を持っているが、人間に対して使われ る場合は英語のnativeあるいはindigenous peopleに対応するケースが多い。しかしasli が持つ他の意味、すなわち「オリジナル」「純粋」「混じりけのない」といったニュアン スがそのインドネシア語に溶け込んでいるため、英語が意味する「土着民」「先住民」と いう語義とは必然的に趣が異なって来る。 植民地時代から人種差別政策によってnativeインドネシア人は極東からやってきたひとび とより低い地位に置かれて来た。その名残りが現在までもpribumiとnon-pribumiという対 立感情を育んでいる。やってきたひとびとはpendatangであり、pendatangがpribumiとの 間で子供を作ったとき、その子供はperanakanと呼ばれる。 その定義に従えばアラブ系もインド系もnon-pribumiであり、そしてやってきたひとびと がインドネシアで混血の子供を作ったとき、子供はperanakanとなってnon-pribumiに区分 されるはずであるにもかかわらず、pribumiが対立感情を込めてnon-pri(bumi)と言う場合 は常に中華系を指しているのも興味深いことではある。 1945年憲法の第6条には、「大統領はorang Indonesia asliである。」という文言が 登場する。ここで使われているasliはpribumiを指しており、インドネシア国籍者であっ てもpendatangやperanakanは該当しないと一般に理解されている。ところが現実に、イン ドネシア土着民というのは有史以来、地球上のあちらこちらから大集団で移動して来たさ まざまな人種が入り乱れて各地の土着民になっているのであって、決して人種的な単一性 は存在しない。それらの地域的土着民をインドネシアではsuku bangsa(種族)と呼んで おり、文化や身体的特徴を異にする各種族が異なる遺伝子を持っていることは明白で、今 ではそれが常識と化している。 端的に言うなら、priとnon-priというディコトミーは植民地時代の遺産でしかなく、オラ ンダ人を追い出したあとでさえ、そのようなものを80年近くも引きずっているという、 実に奇妙なインドネシア国民の姿がそこに投影されているというわけだ。同じインドネシ ア国民がそのようなディコトミーを良しとして対立構図を作っているのは、現代国家とし て恥じるべきありさまだと考える国家指導者がorang Indonesia asliの新しい定義付けを 行ったものの、法律の条文としてとどまっている限り、それが国民の深層意識に吸収され るのはいったいいつになることだろう。 2006年法律第12号「国籍法」の条文解説には、「orang-orang bangsa Indonesia asli」とは生まれながらのインドネシア国籍者であり、自分の意志で他の国籍を受けたこ とのないインドネシア人を指す、と記されている。国籍法の第2条は、「orang-orang bangsa Indonesia asli」並びにインドネシア国籍者と法的に認定された他民族の者がイ ンドネシア国籍者であると定めている。次いで第4条では、(1)インドネシア国籍者の 両親の正式な婚姻で生まれた子供、(2)インドネシア国籍の父と外国籍の母の正式な婚 姻で生まれた子供、(3)インドネシア国籍の母と外国籍の父の正式な婚姻で生まれた子 供、(4)インドネシア国籍の母が正式な婚姻なく生んだ子供、(5)外国籍の母が正式 な婚姻なく生んだ子供で、インドネシア国籍の父が自分の子供であると認めた子供・・そ の他省略・・がインドネシア国籍者になると規定しており、異民族者との混血であっても 誕生してインドネシア国籍を得ればorang Indonesia asliという概念が適用されることを、 この法律が確定させた。法システム上でasliという言葉の定義が国籍に対応させて定まっ たわけだが、国民は依然として外国の血が混じった人間はasliでないという観念に凝り固 まっている。[ 続く ]