「豚成分含有韓国ラーメン事件の実相」(2017年06月22日)

食品薬品監督庁は市場で販売されている輸入品韓国製即席麺のサンプルテストを行い、豚
の特定DNAパラメータの検査から豚由来の成分が含まれていることを発見したため、市
場流通禁止措置を執った。

豚の成分が含有されているとされたのは、SamyangブランドのU-Dong(流通許可番号ML231
509497014)、NongshimブランドのShim Ramyun Black(流通許可番号ML231509052014)、
Samyangブランドのmi instan rasa kimchi(流通許可番号ML23150948014)、Ottogiブラ
ンドのYeul Ramen(流通許可番号ML231509284014)の四種類。

監督庁は輸入者に対して早急に国内市場から全品を回収するよう命じる一方、国民に対し
てはそれらの商品に警戒すること、ならびに店頭でそれらの商品を見かけたら、地元の食
品薬品監督庁支部に連絡して回収を促すよう求めてほしいと協力を要請した。各地方支部
は既に市場チェックを行い、全国34州のうち23州は市場にそれらの商品が見当たらな
いとの報告を本庁に出している。一方、マノクワリとスラバヤではそれらの商品が発見さ
れたため、ただちに市場から排除するべく措置が取られたことが報告されている。


今回の事件はイスラム教がハラムとしている豚の要素を含有していることが理由なのでな
く、豚の要素を含有した商品を国内市場に流すに当たってなされなければならない対応が
取られていなかったというテクニカルな面における違反がその理由になっている。ちなみ
に、豚の要素を含有していても国内市場に流通させること自体を禁止する法規はインドネ
シアでまだ施行されていない。インドネシア国内で製造・輸入・流通・販売される商品に
ハラルラベル取得を義務付ける「ハラル製品の保証」に関する2014年法律第33号
(通称ハラル法)は2014年10月17日に制定されたが、その施行は制定日から5年
後となっており、今現在はまだ法的有効性を持っていない。

問題は本質論でなく、技術面でのことがらになる。インドネシア国内市場で販売されるす
べての加工食品は食品薬品監督庁の国内流通許可取得が義務付けられている。許可取得に
際しては、豚成分が含まれているならいるで、それを正直に申告し、その旨を商品ラベル
に表示しておけば、国内流通は承認される。もちろんこれは、ハラル法が施行されるまで
の過渡期的措置だろうと思われる。


問題を包含しているいくつかの商品カテゴリーについて、食品薬品監督庁長官が2016
年5月17日付けで出した「加工食品登録」に関する2016年長官規則第12号がその
対応に関する詳細を定めている。この規則は国内流通許可を得るための登録手続きに関す
る諸原則をまとめたものであるが、その中に豚の成分が含まれているものは赤枠で囲まれ
た白地の上に「Mengandung Babi」という文言と豚の絵を赤色で表示したラベルを貼付す
る義務が定められている。

今回の事件は、豚の成分が含有されていることが判明した上記四種類の韓国産即席麺にし
かるべきラベル表示がなされていなかったための措置であるということであり、インドネ
シアのメディアは一様にその因果関係を報道しているから、韓国がハラルでない商品をイ
ンドネシアに輸出したというようなものの見方は当たっていないだろう。輸入品を国内流
通させることにおける責任者はあくまでもインドネシア国内法人なのだから。
むしろ輸入者が国内流通許可取得のための登録時に豚成分を含有しているという事実を隠
していたという虚偽申告の色合いが濃く、食品薬品監督庁はこれを刑事事件にする可能性
をほのめかしている。

2016年長官規則第12号は豚成分に関する事柄だけでなく、アルコール飲料には
”MINUMAN BERALKOHOL””DIBAWAH UMUR 21 TAHUN ATAU WANITA HAMIL DILARANG MINUM”
”Mengandung Alkohol + … % v/v”などの表示が義務付けられ、アルコール含有食品に
はその事実とアルコール濃度の表示がなされなければならず、またコンデンスミルクには
赤枠の白地の上に赤色文字で「Perhatikan ! Tidak Cocok untuk Bayi sampai usia 12 
Bulan」と表示されていなければならないと定めている。それらは成分表示や消費者への
注意事項として今や世界各国が標準化していることがらのひとつなのであり、ムスリムが
マジョリティ国民であるがゆえの消費者に対する注意書きが非イスラム圏とは異なるもの
になっているだけのことと理解するのがニュートラルなものの見方ではないだろうか。そ
の上で、そのような違いをあえて大仰に言い立てるのであれば、きわめて閉鎖的な精神性
が匂い立ってくるようにわたしには感じられる。