「劣等感を引きずるインドネシア人」(2017年06月29日)

オランダ植民地時代にプリブミは二級国民として扱われたことで、インドネシア民族はい
まだに劣等感を抱き続けている。その劣等感がインドネシア民族の進歩と発展を阻んでい
る。

「独立してからも、その思考パターンはなくなっていない。インドネシアは世界有数の偉
大な民族になれるという可能性が、自信のなさのために、なかなか実現されない。その思
考パターンが同質性への傾斜をはぐくみ、世の中のありとあらゆるものごとが同じである
よう希求する精神構造を生み出している。それを放置すれば、ヌサンタラの各地でマジョ
リティ層が自分たちの優位性を確立することを重視するようになる。ところが、この奇跡
の民族であるインドネシアが信奉している価値観は、それではないのだ。」
シャリフヒダヤトゥラ国立イスラム大学教授アジュマルディ・アズラ氏はそう語る。その
解決は教育を通して行われると氏は提言する。


同大学イスラムと社会研究センター顧問のジャムハリ・マッルフ氏は、世界最大のムスリ
ム人口を擁するインドネシアの国民は、思考の枠を広げて進歩を追求するムスリムになる
べきだ、と説く。「われわれは西洋にマイノリティムスリムの指導者が誕生したことを称
賛しているが、立場を変えて見る必要がある。われわれはわが国にいるマイノリティの同
胞に不公正な扱いをしていないだろうか、と。

社会発展研究では、古典思想ばかりを基軸に置いていてはいけない。現代思想も取り込ん
でなされるべきである。建国の父たちは、インドネシアを独立させるに当たって、古典思
想と同時に現代思想も検討の台の上に乗せたのだ。」と氏はコメントした。
「不寛容は多様性に富むインドネシア文化を反映したものではない。宗教の精神において
も、不寛容は善とヒューマニズムに対立するものだ。不寛容は社会・政治・経済問題が作
り出している。デジタル社会と化したいま、それらの問題ははるかに錯綜してきている。

宗教学習のソースは、身元のはっきりした宗教機関からのものとは限らなくなってしまっ
た。あらゆることがらがインターネットから入手できるものの、正しい内容であるかどう
かの保証はどこにもなくなってしまっている。だから宗教省は学校の宗教科目の教員・監
督者・指導員に対して教育訓練を行い、社会生活における和合と協調を目標とする思想を
もっと深めさせるべく努めている。宗教界有力者に対しても、複合文化の観念をより強め
させるための対話を活発化させている。宗教科目の教員と宗教界有力者が世の中の宗教教
育面での責任者であるからだ。」宗教省調査開発教育訓練庁長官はそう述べている。

故グス・ドゥル大統領夫人シンタ・ヌリヤ女史は、学校教育の中で寛容・和合・ビンネカ
トゥンガルイカ・パンチャシラ・1945年憲法についてもっと明確に教えなければなら
ない、と語る。そうすることによって、国民はまだ小さい頃から寛容の精神に包まれた社
会生活についての理解をはぐくむことになる。「教員と生徒だけでなく、親にも寛容と和
合についての正しい理解を持たせなければならない。」

ムハマディヤとグスドゥリアンが開催した討論会で、それらの発言がなされている。