「接頭辞ber-」(2017年06月30日)

ライター: 短編作家、ソリ・シレガル
ソース: 2015年12月19日付けコンパス紙 "Awalan Ber-"

Ber-はインドネシア語の生産的な接頭辞である。頻繁にレファランスとして使われている
国語センター発行インドネシア語大辞典(KBBI)第4版を開くと、そんな印象が刻み
込まれる。その解釈に反論するのは、理論的にも困難だ。

Jika kapur tulis habis, ia harus menulis di tanah dengan batang kayu. Untunglah, 
para siswa tetap bersemangat.(2015年11月23日付けコンパス紙15ページ
"Mereka Berjibaku di Pedalaman Papua"から)

わたしは上の二文をわざと引用した。わたしの好きな文章だからだ。これまで、普段わた
しがよく耳にするのは「tetaplah bersemangat」でなくて「tetaplah semangat」だった
のである。記者も国家公職者も、その波に?まれた。かれらはbersemangatとsemangatが
異なる言葉であることを意識していない。

類似のことがらはbahayaとberbahaya、あるいはbedaとberbedaなどの使い分けに見ること
ができる。われわれの多くはそのふたつの言葉の品詞ラベルを同一視しているが、ラベル
どころか語義まで異なっているのだ。semangatは名詞であり、bersemangatは動詞である
ということさえ、かれらは忘れている。bedaやbahayaについても同じだ。

たとえば、名詞であるbahayaの語義は「災い(災害・災難・損害等々)をもたらす(可能
性を持つ)もの」であり、berbahayaの語義は「bahayaにさらされている」「bahayaがあ
る」「bahayaがもたらされる(可能性がある)」となっている。それらの語義をわたしは
KBBI第4版から引用した。われわれとは異なり、英語使用者がdangerとdangerousを
ごちゃ混ぜにすることはめったにない。かれらの言語使用はたいへん秩序立っているよう
に見える。もちろん英語とインドネシア語の間の品詞ラベルには違いが存在する。bahaya
と同じ意味を持つdangerはそれぞれの言語の中で同じ名詞という品詞ラベルになっている。
ところがインドネシア語では品詞ラベルが動詞とされているberbahayaに対応する英語の
dangerousは形容詞と位置付けられているのである。


接頭辞ber-が落とされた語は他にもたくさんある。ber-が省かれたものの多くは、使用者
が正しく理解していないのが原因だ。たとえば、どうしてAku bertanya kepadanya.とい
う文章を使わなければならないのか、と尋ねる者がいる。Aku tanya kepadanya.という文
章でも可能じゃないか、というのがその理由だ。違いは明白だ。動詞としてbertanyaを使
ったのが前者であり、後者は名詞としてのtanyaが使われている。標準的な文章というの
は、接頭辞ber-が使われている前者の文章なのだ。

最近誤用の凄まじいもののひとつにfokusという言葉がある。接頭辞ber-が落とされてい
るために起っている現象だ。fokusという語にberfokusあるいはterfokusの語義を当てて
いる者が少なくない。たとえば、「kini program pemerintah fokus pada pembangunan 
infrastruktur」と大臣が語ったが、その意味は「kini program pemerintah berfokus/
terfokus pada pembangunan infrastruktur」なのである。fokusの語義はpusatであるが
ために、berfokusはberpusat、terfokusはterpusatとなるのは言うまでもあるまい。も
しfokusという語を接頭辞ber-やter-なしに使いたいのなら、構文が変えられなければな
らない。「fokus program pemerintah saat ini adalah pembangunan infrastruktur」
という形だろう。われわれは意識しないまま世の中の誤用に流され、長い時間のはてに
それが正用になってしまうのだ。

アメリカインディアンのトム・トゥ―・アローズが数十年前にこの国を訪れたとき、アメ
リカンインディアンのことを話すためにかれはいくつかの町に招かれた。メダンではある
学校のバスケットボールコートでスピーチした。かれは聴衆に、自分のことを物語った。
自分はberkawinして子供を数人持っていると語ったとき、聴衆のほとんど全員が笑った。

ところがトム・トゥ―・アローズは何も間違っていなかったのだ。KBBIにもberkawin
という語彙は採録されており、語義はmenikahとなっている。ところがわれわれはmenikah
やkawinの代わりにberkawinという語にほとんど触れたことがないため、正しいものに対
してさえ、われわれは笑い飛ばしたのである。付けられなければならない接頭辞を省略ば
かりしていれば、われわれは同じリスクを引き被ることになる。