「スカルノの綴りはどちらが正しいのか?」(2017年07月05日)

2015年6月11日付けコンパス紙への投書"Sukarno atau Soekarno"から
拝啓、編集部殿。数日前にジョコ・ウィドド大統領が犯した間違いを国民と報道機関が賑
やかにあげつらっています。パンチャシラ発掘者のブンカルノがブリタル生まれだとか。
正しくは、スラバヤ生まれなのです。ブリタル生まれと書いてある参考資料がいまだにた
くさん出されていますから、その思い違いは納得できます。

もうひとつ頻繁に出現している間違いがあります。Bung KarnoあるいはSukarnoの名前が
Soekarnoと書かれているのです。シャフリル第三次内閣(1946〜47年)教育学習文
化大臣のスワンディが1947年にスワンディ式綴り方(Ejaan Republik)を定めたとき、
スカルノは自分の名前の綴りをスワンディ式に変えることを宣言しました。Soekarnoの
/oe/はチャールス・ファン・オパイゼンが定めたムラユ語表記の綴り方で、スワンディは
それを/u/に変えたためにSoekarnoの綴りはSukarnoと変わりました。Ejaan Republikは1
972年になって、Ejaan Bahasa Indonesia Yang Disempurnakan略称EYDに変更され
ています。

ブンカルノはシンディ・アダムズにもそのことを説明していますので、かの女が書いた
Bung Karno Penyambung Lidah Rakyat(日本語訳「スカルノ自伝」)にも明確にSukarno
と書かれ、Soekarnoという綴りになっていません。

また1964年が最後の発行になったインドネシヤ共和国スカルノ大統領所蔵絵画彫刻集
と題する写真集の編集者ドゥラーとリー・マンフォンに対してもブンカルノは同じことを
明言したため、やはり綴りはSukarnoとなっています。ところがなんと、その写真集の自
分の署名では、スカルノはわざとSoekarnoと書いたのです。「独立宣言文書に書いた署名
と同じにして、国民に確かにわたしだと思い起こさせるためだ。」とコメントしたそうで
す。
[ 北ジャカルタ市在住、アグス・デルマワン・T ]