「とばっちり殺人だろうか?」(2017年07月07日)

西ジャワ州タシッマラヤ市プルバラトゥ郡スカアシ町カンプンダルムを流れるチロセ川の
堤防は寂れた場所だ。そこへ釣りに訪れた町民が、路上に横たわっているふたりの少女を
発見した。ひとりは血まみれで死んでおり、もうひとりも全身にたくさんの切り傷や打撲
をこうむって重態。

タシッマラヤ市警はただちに捜査を開始し、ふたりの少女の身元を割り出した。殺害され
た少女はP10歳で、重傷を負っているのは遊び友達のD11歳。警察は関係者や目撃者
から証言を集めた。

Pの父親が最後に娘を見たのは17年6月30日11時ごろで、友達のDと遊んでいた。
そのあと、ふたりがどこへ行ったのかを家族はだれも知らない。そしてその日夕方、チロ
セ川畔で死体となって発見された娘の姿が一家を悲しみのどん底に突き落とした。

警察の集めた証言の中に、ふたりの少女が同じ町民のR15歳と一緒にいたという目撃談
があったことから、警察はRを7月1日午前9時に警察に連行して取調べ、Rが殺害者で
あることを断定した。Rの自宅もPの自宅も犯行現場から半径百数十メートル以内にある。
そしてRはPとDと知合いの関係にあり、時に言葉を交わしたり、一緒に行動することも
あったようだ。要するに、同じ町内の住民という関係だ。


Rは犯行の前日に友人から鉈を2万ルピアで買っており、ふたりの少女にその鉈と石を使
った。また犯行場所も寂れた場所を選んで行った形跡が濃いため、警察は計画的犯行に間
違いないものと見ている。Pの遺体にはレイプされた痕跡が見られることから、警察はP
の検死報告が届くのを待っている。

Rの自供によれば、P殺害の動機はPの叔父のひとりが自分をいつも泥棒と言っていたこ
とへの恨みだそうだ。Rはその叔父に直接恨みをぶつけることをせずに、その姪に対して
恨みをぶつけた。憎まれている叔父とファミリーであったがために、その憎しみがPに向
けられた。Pにとってはいい迷惑だったにちがいない。

だが、ことの本質がそこにあったのではない。インドネシアの大家族主義による構成員間
の感情的絆がどのようなものであるのかを知っているひとには、この事件の本質が、そし
てRが狙った復讐の意味が見えてくるにちがいない。たとえ姪であっても、憎む相手があ
たかも自分の子供が殺されたかのような打撃を蒙るであろうことをRは計算していたはず
だ。


インドネシア社会の一族には、特に叔父叔母(以後伯父伯母を含める)と甥姪の間には、
核家族文化が忘れ去ってしまった感情的な結びつきが存在している。言い換えれば、甥姪
たちには複数の両親がいて、叔父叔母には自分の血をわけた子供たちの他に、血のつなが
っている自分の子供が多数存在しているのである。

日本語でも元々は、おばの語源を小さい母、おじの語源を小さい父としていたように、大
家族制度では兄弟姉妹の子供を自分の子供と同等に見なす慣習が、どこの地にもあったと
いうことだろう。日本ではその時代が既に去ってしまったようだが、インドネシアにはい
まだに残っていて、それが実践されている。


インドネシアにある慣習で興味深いもののひとつに、姉の出産の手伝いと新生児の世話を
妹が行うというものがある。それは妹たちにとっての訓練となり、自分に出産の順番が回
って来たとき、その大事をつつがなく行うための知識と経験を与える場になっている。そ
うやって姉の子供の出産を身近に体験した妹にとって、その甥姪にまるで自分の子供であ
るかのような感情を抱くのは、何ら不思議なことでない。そして差別区別を嫌う一族和合
の精神が、そんな感情を別の甥姪にも行き渡らせることを助けているにちがいない。

こうして甥姪たちと叔父叔母の間には、父母には言えないことでも相談できる親密な関係
が発展していく。だからインドネシア人が頻繁に口にする「om」「tante」という言葉に
は、単に親族関係を説明している以上に、もっと感情的なものが混じりこんでいるのであ
る。であるなら、われわれ外国人に親しくなったインドネシア青年子女たちが「om」
「tante」という呼びかけをしてくる場合、われわれはかれらの感情を汲み取ってやる必
要があるようにわたしには感じられる。