「EYDは非一貫的」(2017年07月11日) ライター: 文学者、日本でインドネシア語を教授、アイップ・ロシディ ソース: 2005年2月12日付けコンパス紙 "Ketidakkonsistenan EYD" わたしはかつて、EYDは非一貫的であることを指摘した。しかしもっと厳密に調べてみ るなら、EYDのすべてが非一貫性に満ちている。EYDが言語標準化の看板を掲げて振 興されているのだから、それはおかしなことなのである。すなわちEYDはスタンダード なインドネシア語を使いたい人にとっての手引きとならなければならないということだ。 その手引きに一貫性がないのなら、どうやって標準的なものを育成できるだろうか? 各個人は自分の名前を自分の好きなように綴ってかまわないという自由を与える条項の存 在が、不服従を発生させる原因のひとつになっている。読み方がEYDに則したものであ っても、ある個人の名前が決まりに則らないで発音できるために問題が生じるばかりか、 項目に取り上げる名前の書き方に関連して百科事典編纂者に独自の困難を発生させる。 たとえEYDに外れていても、名前の持ち主が自分の名前を書くやり方に従って百科事典 の項目にするのだろうか。もしそうなら、読み方に関する説明を、その名前が出てくるた びにカッコ書きして添えなくてはならない。EYDに従って綴られたら、その名前の持ち 主は多分首を横に振るだろう。その方法は百科事典でその人物のことを調べようとする利 用者をも戸惑わせるにちがいない。利用者はきっと、名前の持ち主が書いている綴りで項 目を探そうとするだろうから。 他の非一貫性は、ある音に対してダブル文字が依然として使われていることだ。実用が開 始される前に英雄的EYD専門家たちが振った旗は、新しい綴り方では一つの音が一つの 文字で表されるという原則で、つまりは効率改善だったように聞いている。ところが定め られたEYDを見ると、nyとngというダブル文字が依然として存在している。どうしてそ れ用の文字を用意しようとしなかったのだろうか?たとえば[?][ ?]などの文字だ。それら はインドネシア語の中でも使えるのではないのだろうか。ところがEYD委員会は想像を 絶する理由を出してきた。「それらの文字はインドネシアにある印刷機械にも、タイプラ イターにも、存在しない。」と言うのだ。 どうして機器のせいにするのか?もともと機器の中に存在していなくとも、われわれがそ れの使用を決定したなら、機器は必ずわれわれに従うようになる。かつてIntertype製造 会社は、東インド政庁がハナチャラカ文字を学校で教え、世の中で使用させることを決定 したがために、わざわざハナチャラカ文字のインタータイプを製造したのである。その文 字を使う書物がたくさん出版されるようになるから、その需要を刈り取ろうとしてインタ ータイプがそれを生産したのだ。現在インドネシア語の表記に使われているラテン文字使 用者に比べたら、ジャワ文字使用者はいったいどれほどのものなのか。 わたしがしばしば取り上げるサンプルは、あらゆる種類の音を表記しているラテン文字で 書かれたベトナム語だ。ベトナムは新しい文字表記を必要とした結果、ベトナム語を表記 するために使われるラテン文字は元来のラテン文字にさまざまなマークが加えられた、ベ トナム語を書くためにしか使われない文字だらけになっている。ベトナム語使用者はイン ドネシア語使用者よりはるかに少ないものの、インタータイプ機器製造工場やタイプライ ター生産者はベトナム語を書くための需要を満たす機器をわざわざ作っているのだ。まし てや、今ではコンピュータが一般的になっており、そのような問題が障害になることはあ りえない。 EYDが非一貫的であることを示す別のことがらは、ひとつの文字がふたつの音を表して いるケースだ。すなわち、詰まった[e]とシャープな[e]がどちらもeの文字で表されてい る。それが引き起こしている混乱を、われわれは日々のラジオやテレビの放送に見出すこ とができる。 バンテン州に関する報道の中で、あるニュースアナウンサーはSerangを「スラン」と発音 したが、正しくは「セラン」と呼ばれなければならない。ideを「イドゥ」、ataseを「ア タス」、macetを「マチュッ」、televisiは「トゥルビシ」とかれは読んだ。ところがru- wetは「ルウェッ」、pamerは「パメル」、gamelanは「ガメラン」とかれは発音したので ある。後者はいずれも弱母音で読まれるのが正しい単語なのだというのに。 テレビやラジオの番組司会者やアナウンサーが行う大量の発音間違いに接する視聴者がそ れを見倣うことは想像に余りある。