「チピカチピキ」(2017年07月13日)

2017年2月6日付けコンパス紙への投書"Budaya Cipika-Cipiki"から
拝啓、編集部殿。ほとんどの公式行事、特に式典進行がテレビで放送されるもの、は最後
にCipika-Cipikiで幕を閉じます。つまりcium pipi kanan, cium pipi kiriということで、
握手したあと互いの頬をくっつけ合うふるまいを指しています。

そのふるまいは公職者を含めて国民社会の中にどんどん広がっています。大統領宮での公
職者任命、軍人の役職交代、一般的な祝賀における親睦会などが終わるといつも、出席者
が列に並んでひとりひとりと握手を交わし、そしてチピカチピキが行われるのです。女性
同士がそれをするならオッケーです。あるいは男性と女性がそれをするのも、まあ自然で
しょう。しかし男性同士でそれを行う、ましてや勇壮な将校たちがそのようなことをする
姿を、わたしは見ていられません。

文化的由来が明らかでないため、その栄誉を受ける心の準備ができているひとばかりでは
ないのです。笑い話になりそうなできごとはいっぱいあります。とまどいを見せるひとが
います。この挨拶にふさわしいひとは誰かといったカテゴリーなどありません。どちらが
先に自分の頬を相手に差し出すのでしょうか?そのときに相手がそれを避けようとしたら
どうなるのでしょう。左右の頬が必ず使われなければならないのでしょうか?片方だけだ
ったら、どうなのでしょうか?

どんなふるまいでも、その習慣を持っていないひとからはぎこちなさが目立ちます。その
結果、頬でなくて「こめかみ」をくっつけるだけにするひとが、特に軍人の中に見られま
す。握手し、軍隊式敬礼をし、ホーミーハンドシェイクをし、その上にチピカチピキまで
も・・・?

もちろん、これは些細な問題でしょう。国際儀典要領にもこれは出てきません。しかし、
これについての歴史的由来が正しく理解されるほうがよいのではありませんか?その習慣
を持たないひとがその場に臨んでうろたえる姿を人目にさらすことを避けるためにも。場
の状況に無理に合わせようとしてぎこちなく振舞っているひとたちを見るのは、とても気
の毒です。ましてや、それがわれわれの大統領閣下だったとしたら・・・・?
[ バンテン州南タングラン市在住、レンヴィル・アルマツィエル ]