「バタヴィア港(5)」(2017年08月03日) 結局のところカスティル跡地は経済活動の中に組み込まれて行くという結末をたどること になった。そこには倉庫や工場が建てられるようになり、カスティル広場の中を抜けてバ タヴィア港へ通じる道路が作られて、この一帯は変哲のない産業地区になってしまう。そ の道路はオランダ時代にカスティルプレインウェフ(Kasteelpleinweg)と呼ばれていたが、 独立インドネシアではトンコル通りと名前が変化している。 カスティル広場の対岸には、1632年にVOC造船所(Timmerwerf der Compagnie)が建 設された。クラプ通り〜パキン通り〜トンコル通り三叉路の橋から西に向かってパキン通 りを進むと、カリパキンを隔てた向こう側にVOCと大書された田舎の学校の校舎のよう な建物が見えてくる。そこへ渡るためにカリパキンをまたいでいる橋がそのうちに左手に 現れる。そこは南へ下る一方通行の道路、カカップ通り(Jl.Kakap)だ。そしてカカップ通 りの左側にある校舎のような建物が造船所の跡。 このカカップ通りとカリブサールにはさまれたおよそ5千平米の土地に乗っている南北1 20メートル東西40メートルのこの建物は、VOC初期に造られた建築物に共通する、 豪勢な素材をたっぷり使ってきわめて頑丈に作られた古い木造建築物のサンプルであり、 VOCの権勢をしのばせてくれるものだ。この造船所は1809年に閉鎖されて民間に売 却され、しばらくは木工ワークショップとして使われていたが、何度も転売を重ねて最終 的に倉庫として使われていた。 1999年12月、オリジナル素材を大部分そのまま残しながら、この二階建ての建物は 改装を終えた。チークの太い柱や分厚い天井板をふんだんに目にすることのできるこの建 物の中に身を置けば、あたかもVOCが権勢をふるった時代にタイムスリップして行くよ うに感じられてくる。改装なったこの建物はガラガンカパルVOC(Galangan Kapal VOC = VOC造船所)として、レストラン・カフェ・土産物ギャラリーなどのコマーシャルサ ービスを提供する観光スポットになっている。 ガラガンカパルVOCの中庭は、かつて木工職人やクーリーたちが造船修理を行っていた 場所であり、完成した船がそこから川面に向かって押し出されていた。今は、背の高い壁 がカリブサールとこの中庭の間を阻んでいる。静かで情趣豊かなこの中庭にたたずむと、 すぐ近くにある喧噪のパキン通りがまるで別世界のように思われてくる。数百年の時間を 一気に超えて、繁栄を謳歌するバタヴィアの時代にタイムスリップしてみてはいかがだろ うか?ちなみに、ガラガンカパルVOCと表示されているそのVOCは、Very Old Cafe のアクロニムである由。 カリブサールの水面を見てもカリパキンを見ても、まるで墨のような水の色にはうんざり させられるひとも数多いにちがいない。世界最長のゴミ箱とジャカルタ都民が自嘲するチ リウン川はありとあらゆる汚物を流し去る水路として昔から住民に利用されてきた。住民 人口の増加とそれに伴って発生する経済活動が生み出す廃棄物が幾何級数的に増大してい くことは目に見えている。つまり独立インドネシアが地方部諸種族のジャカルタに向かう アーバナイゼーションを促した歴史こそが、ジャカルタの河川汚染の歴史につながってい ると言えるにちがいない。[ 続く ] 「バタヴィア港」の全編は
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