「マラン旅行記(上)」(2017年08月08日)

東ジャワ州の州都スラバヤからまっすぐ南に下っておよそ百キロの距離に、涼しい高原の
町マランがある。マランは東ジャワ州第二の町であり、オランダ植民地時代からその地位
を維持し続けてきた。マランにあるオランダ時代の遺産は数多い。

これはジャカルタにとってのバンドン、スマランにとってのサラティガ、あるいはパダン
にとってのブキッティンギというような関係を思い起こさせるものだ。オランダ人をはじ
めとするヨーロッパ人がいかに海岸部の暑熱と湿気、そして猛威をふるう疫病を嫌い、涼
しい高原の地に住むことに憧れたかということを端的に示す例がこれだろう。


2017年4月のある日、コンパス紙記者はかつて学生時代を過ごしたマランの町を再訪
した。かなりの月日が経過してからの再訪であり、マランの町はおおむね熟知していると
自負しているかれも、いくつかのサプライズを体験した。かれの旅行記がこれだ。

18時:夕闇迫る中を、町の中心部にあるトゥグ公園(Tamana Tugu Malang)を訪れた。こ
こは別名円形トゥグ公園(Taman Tugu Bunder)あるいはアルナルントゥグ(Alun-alun Tugu)
とも呼ばれている。公園にある巨木のてっぺんは暗くなってきた空の闇に溶け込んで、は
っきりしない。噴水や蓮の花が浮いている大きな池の中央に立っているトゥグ(記念碑)
は光の中でそのシルエットを浮き上がらせており、三々五々散らばっている恋人カップル
にロマンチックな背景を提供している。
ゲートのひとつでは、子供たちが暗い中で化粧していた。子供たちは間もなく公園内でジ
ャワの伝統芸能であるジャランケパン(jaran kepang)を演じることになっているそうだ。
馬の小道具にまたがって子供たちは公園内を踊って回る。
そのあと、トゥグ公園から5百メートルほど離れたマランアートセンター(Gedung Dewan 
Kesenian Malang)へ回ってみた。この夜も伝統芸能の上演があったので、夜の更けるのを
忘れて楽しんだ。

翌日午前8時:マランの町を代表する大通り、イジェン通り(Jl.Ijen)を散歩する。この
広々としてまっすぐな大通りを散歩するのは気持ちがよい。パームの街路樹は大きな葉を
揺らし続けている。この道路と周辺の景観を設計したのはオランダ人建築家ヘルマン・ト
ーマス・カルステン(Herman Thomas Karsten)だ。オランダ植民地時代にかれがインドネ
シアに残した遺産は、スマラン・バンジャルマシン・メダン・パレンバンなどほかの町で
も、いまだにしっかりと維持されている。
イジェンブルヴァールと呼ばれるこの通りには、ネオゴシック調のユニークな建物がある。
イジェンカテドラル教会(Gereja Ijen Katedral)がそれだ。レイクセン(Rijksen)とエス
トゥルヒー(Estourgie)の設計したこの教会は、建設されてからテレシアケルク(Theresia-
kerk)と名付けられたが、聖マリア教会と名を変え、今ではイジェンカテドラルと呼ばれ
ている。[ 続く ]