「歩かないインドネシア人」(2017年08月14日)

アメリカのスタンフォード大学が行った調査で、インドネシア人は歩かない民族であるこ
とが明らかにされた。インドネシアに永年暮らしている外国人にとっては、きっと分かり
切った話だろう。

調査データによれば、一日の徒歩数が最大だったのは香港人で6,880歩、次いで中国
人が6,189歩、3位ウクライナ6,107歩、4位日本6,010歩、5位ロシア5
,969歩、6位スペイン5,936歩、7位スエーデン5,863歩、8位韓国5,7
55歩、9位シンガポール5,674歩、10位スイス5,512歩というのが世界のト
ップ10。

最低の第46位はインドネシアで3,513歩、45位サウジアラビア3,807歩、4
4位マレーシア3,963歩、その上がフィリピン、南ア、カタル、ブラジルと続く。世
界平均は4,961歩で、距離換算すると3.5キロになる。最低のインドネシア人は2
.5キロしか歩かないという計算だ。


全体図を見るなら、赤道周辺の諸国があまり歩かない民族で、高緯度の諸国はよく歩く民
族であるという、当然の結果が示されている。自然環境が屋外を歩き回るのに適している
かどうかがまずその要因にあげられるだろう。似たような自然環境にありながらシンガポ
ール人がよく歩いているのは、かれらが人工的にそういう環境を作り上げたためであり、
歩くことの好きな中国人の伝統的価値観がそこに反映されているにちがいない。

次いであげられるのは、運動する、つまり身体を動かすことに関わる文化的価値観の要因
だ。ジャワ文化にある価値観では、自分で何もしないのが人間の社会的な偉さを示すイン
ジケータとされていた。昔の王朝華やかなりし時代の風習である。身体を動かして何かを
するのは召使いや下人など卑賎な者のふるまいであり、だから社会全体が自分で身体を動
かして何かをするという風土を持たなかったと言えるだろう。

その証拠のひとつは、たとえばここ十数年前からやっと歩道や自転車道を設ける機運が高
まって来たことだ。、つまりそれ以前には世間に認められた社会構成員にとって歩道を歩
くようなことは起こりえないことがらであり、下賤の者が使う歩道などまともなものを作
らずともよい、という感覚が強かったと言えるにちがいない。かれらが道路を通行するの
は、お雇い運転手が動かす車に座った状態が通常のスタイルであり、道路表面の破損です
ら、それで困るのは運転手であって、車内に座っているだけのトアンには痛くもかゆくも
ないことがらになっていたわけだ、

ライフスタイル面でのその価値観はやはり一般庶民にも行き渡り、自分の身体をこき使っ
て何かをするということを好まない人間を輩出させてきた。その結果、ほんの数百メート
ル離れた場所に何かをしに行く場合でも、オートバイを使うようになる。オートバイ産業
はそういう文化に支えられて巨大な需要を手に入れ、ほんの50万ルピアの頭金を払えば
新品オートバイを自宅に持てるような環境を作って来た。


輸出用でなく国内向けに作られたインドネシア製の靴や履物は、日本で使うと寿命が短い
。歩かない消費者に必要な程度の耐久性があれば、消費者のクオリティを見る目はデザイ
ンやフィット感へと集まっていくだけだ。歩かない消費者が使ってなかなか壊れないクオ
リティをさらに頑丈にしてコストを高める必要などないのは自明の理ではあるまいか。求
められている耐久性のレベルが違うということなのだ。だから生産者が履物商品に対して
持つコンセプトも、おのずと異なるものになっているにちがいない。

ともあれ、インドネシア人は歩かない怠惰民族という汚名から脱しようと、「歩け歩け」
運動を開始した。毎日たくさん歩けるような社会環境が出来上がるのは、いつの日になる
だろうか?