「国を憂う」(2017年08月16日)

2017年3月4日付けコンパス紙への投書"Cari Benarnya Sendiri"から
拝啓、編集部殿。クロンチョンマエストロのグサン氏作品「Rujak Uleg」の歌詞「rujak 
timun, deleg-deleg terus nglamun」はわたしに、最近とどまるところを知らない状況を
思い起こさせてくれます。歌詞は当時の状況を反映していましたが、それが現代にも起こ
っているのですね。

政治エリートたちは「golek benere dewe (cari benarnya sendiri)」です。その歌は1
950年代に流行したもので、当時の政党エリートたちが互いに権力争奪に励んだために
閣僚の構成がころころと変わりました。権力を握った者につながる一党の間で、ぜいたく
品購入ライセンスがたくさん出回りました。1955年総選挙を前にして、互いに貶しあ
うキャンペーンや立候補者のポスターが全国を埋め尽くすポスター戦争などで、議会はま
すます見苦しい状況に陥ります。そうではあっても、政党が大勢の有権者を動員して行う
大会やパレードで、衝突が起こったことはありませんでした。かれらはただ大声で叫んで
いただけでした。候補者のポスターが隣に並べられても、両者間の競争意識は激しいもの
があったにせよ、互いに相手のポスターを壊すようなことは行われませんでした。

それゆえに、わたしは現在の状況に大きな不安を抱いているのです。多くのことがらが1
950年代と似通っているにせよ、ますます先端的になるテクノロジーの進歩とソーシャ
ルメディアの発達は、選別不可能な情報流通をもたらします。真正・虚偽・ホウクス・ヘ
イトスピーチが入り乱れて出現しているのです。先人たちの文化は、倫理道徳は、どこへ
行ってしまったのでしょう。

ジョコ・ウィドド大統領が口火を切った、上位者から始める精神革命はたいへん必要なこ
とがらです。それは上位者のほとんどが現状を享受しているがゆえなのです。一方、青年
層に対して政府は、倫理道徳を踏まえた愛国心を深める教育を行う必要があります。

わたしはまた、プレイグループから小学校3年生までのカリキュラムの中に、地元の地方
語教育を加えるよう提案します。地方語を教えること、中でも地元の先祖と民族英雄の歴
史を子供たちに教えることは、豊かな倫理道徳観を子供たちに与えることになるのです。