「カードすり替え(上)」(2017年08月21日) 南スラウェシ州ボネの実業家が商用で上京し、西ジャカルタ市タマンサリのホテルに泊ま った。商用を果たそうとしてかれがホテルから出たところへ、身なりのよい紳士が近寄っ てきて声をかけた。その紳士A氏はマレーシア語で自己紹介する。 「わたしはブルネイダルッサラムから今回はじめてジャカルタへ来ました。携帯電話機を 売りに来たんです。たくさん持ってきましたが、どうやって売れば一番良いのか、お知恵 を拝借できませんかねえ。」 ボネの実業家氏はしばらく立ち止まって相手をする。するといつの間にか近くに来ていた 別のビジネスマン風の紳士B氏が、ふたりの会話に加わって来た。 「わたしもボネでビジネスしている者です。話を聞きましたよ。Aさんをロキシーへ連れ て行ったらどうでしょうか。さあ、みんなで行きましょうよ。」 誘われた実業家氏は成り行きに任せてタクシーに乗り込む。中央ジャカルタ市ロキシーの 携帯電話マーケットへ行けば、A氏は自分の商品をきっと売りさばけるにちがいない。 ところがタクシーの中でA氏とB氏の話がはずみ、携帯電話機の商談が始まった。そして 価格交渉の末に、B氏がA氏の商品を全部買い取ることになった。そうなれば、ロキシー へ行く必要はない。B氏はタクシーを近くの店舗街に止めさせ、そこで全員が下りた。 「じゃあ、わたしがAさんの口座に支払いしますからね。」 「いや、こりゃまずいな。わたしの口座はブルネイの銀行にしかなくて、インドネシアか らの送金を受け取るためには、わたしがブルネイに戻って手続きしなきゃならない。」 「う〜ん、そうだ、こうしましょう。わたしの支払いをいったん、この方の口座へ入れま しょう。そして、Aさんがブルネイで手続きを終えたら、この方から送金してもらう。わ たしは支払いを済ませて、商品を全部もらって帰る。これでどうですか?」 「おお、そりゃいい考えだ。そうしましょう。あなたもそれでいいですか?ただでとは言 いませんよ。お世話になるお礼に、あなたには15%の謝礼を差し上げましょう。」 実業家氏はこの棚ボタ話に完全に乗った。 三人は近くのATMブースに入った。B氏は言う。 「わたしの口座残高をまず確認してください。また、あなたの口座残高も確認させてくだ さい。口座間トランスファーを終えたら、再度残高を互いに確認しましょう。こうやれば 間違いがない。」 実業家氏の口座残高は1億7千万ルピアほどあった。B氏の残高を見て、実業家氏は目を 丸くした。10億ルピアを超えていたのだから。そして約束通りの金額がトランスファー された。 三人はまたタクシーに乗って、タマンサリのさっきの場所へ戻ることにした。タクシーの 中でA氏が実業家氏に言った。「インドネシアのATMカードは、実にバラエティが豊富 なんですね。ちょっと見せていただけませんか?」 実業家氏はかけらも疑いを持たず、さっきのATMカードをA氏に渡す。A氏はカードを 手にして眺め、弄び、そしてうっかりタクシーの床に落とした。実業家氏は心配そうに自 分のカードを凝視する。A氏はカードを拾ってから、また見残しがあったかのように眺め 直した上で、実業家氏にそのカードを返した。実業家氏はいそいで自分のカードを財布に しまった。 タクシーがタマンサリのホテル前に着くと、実業家氏はA氏に「送金依頼の連絡を待って いますから。」と別れを告げて、ホテルの中へ入って行った。A氏とB氏が顔を見合わせ てほくそ笑んだのを、実業家氏はまったく知らない。[ 続く ]